【失敗談】ビバーク編《灼熱地獄の章》

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日本一広い湖の琵琶湖を知っている人は多いでしょう。しかし、その北西に『高島トレイル』というものがあることはあまり知られていません。恐らく山登りを趣味としている人でも知らない人の方が多いのではないかと思います。では、長野と新潟の県境にある『信越トレイル』は知っていますか? こちらは多少知名度があり、山雑誌でも紹介されているので、名前くらいは聞いたことがあると思います。

このふたつのトレイルは西の『高島トレイル』、東の『信越トレイル』などと言われたりもして、比較され、日本の代表的なロングトレイルにもなっています。もっとも、最近では『みちのく潮風トレイル』もかなり有名になっていますよね。まぁ、『みちのく潮風トレイル』の方は色々と毛色が違うし、今回の舞台でもないので、あまり深くは書きません。今回は『高島トレイル』で経験したことを書いていきます。

目次

始めに

結果から簡単に書きますが、今回の失敗談は『高島トレイル』を歩いていて、暑さのため計画通りに歩けず、ビバークを余儀なくされ、途中でリタイアしたというお話です。

ビバークと言うと、雪山で雪洞を掘って、震えながら一夜を明かす。なんてイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?しかし、今回の舞台は真夏の低山です。ある意味、真逆な環境ですよね。

真夏の遭難というと、北海道の事故のことを思い出す人もいるでしょう。僕も当時、ニュースを聞いて驚いたのを憶えています。

環境はかなり違いますが、今回のお話も、体調不良に陥り、思うように身体が動かなくなったということに関しては、状況は似ていると思います。がしかし、そもそも夏の低ですし、天気も好く、テントもシュラフも食料もあり、しかもソロ登山で決定権は全て自分にあるので、ヤバそうだなぁ、と判断したら即決で撤退を決めることが出来たのは、北海道のケースとはと大きく違うと思います。

いなかた

今回のお話の性格上『高島トレイル』のコースを知らなければ、よく分からないと思うので、下記に公式サイトのリンクを置いておきます。一度でも歩いた事がある人、または計画中でコースをある程度知っている人はそのまま読み進める事が出来ると思いますが、よく知らない方は面倒ですが公式マップを見ながら読んでいただけると理解しやすいと思います。

『高島トレイル』について

『高島トレイル』は正式名を『中央分水嶺 高島トレイル』と言います。『中央分水嶺』とは? 山登りをしている人は知っている人は多いと思いますが、簡単に言うとそこに降った雨が太平洋側に流れるか、日本海側に流れるかの境です。

ザックリ考えると、日本の青森県から山口県まで、本州の背骨のようなところを辿って一本の線が書けます(実際にはそんなに単純ではありません)。その一本の線の滋賀県部分(一部、京都との県境)が今回の舞台の『高島トレイル』です。

この分水嶺は場所によっては高山地帯を通っている所もあるとは思いますが、今回の舞台の『高島トレイル』は低山地帯を通っています。と言うことは、登山をしている方なら分かると思いますが、夏は地獄です。今回の記事が『灼熱地獄の章』となっているのはそのせいです。夏場の低山をテント装備(約18kg)で歩くなんて、今考えると無謀でした。その時の僕は「なんとかなるだろ」と軽く考えていました。しかし、実際には思っていた以上に・・・。

2015年、夏。

今回は4泊5日で計画を立てて、体調を崩したのは2日目でしたが、今考えると、1日目も予定を大きく変更していたので、そこにも原因のひとつがあったんじゃないかと思います。

と言うわけで、予定が変わった1日目の夕方からお話しを始めたいと思います。

1日目に熊の被害に遭う!?

車で400kmも走った後でのスタートでしたので、当初の予定では1日目は歩く距離を抑えて、ゆっくり休み、2日目以降に頑張って歩く計画でした。なので、1日目は距離も短かったし、のんびりと歩いて、1日目の宿泊予定の黒河峠に到着ました。可能なら抜土まで行ければ、と思っていたけど、スタートが遅かったので、それは無理でした。

この黒河峠にはコース中唯一のトイレがあるし、水場も近いので、テントを張る前に30分近くも休憩を取ってからのろのろ動き出して、テント適地を探します。 

おっ! 林道脇に、ちょうどテント一張り分の平なところを発見! 

いなかた

高島トレイルでは公式のテント場はありません。自然にインパクトを与えない範囲で、各自テント適地を探す必要があります。

テントを張る前に、近くの沢で水を5リットル(今日の夕食分と翌日の食事&行動分)ほど補給してきた。そして先ほどのテント適地に戻り、ザックからテントを出し、スタッフバッグの口を広げて、テント本体を引きずり出そうとしていると、僕のすぐ横を車が通り過ぎて行った。かと思ったら、その車はバックして戻ってきた。その様子を横目で見ていると、その車は僕の横で止まった。

えっ! 何? ここでテント泊はダメだよ、って言われるの? えっ? ここってダメだったの?

なんてことをで考えていると、その車の助手席側のウィンドウが、微かな音を立てて下りた。

その車には30〜40代位の男性が2人乗っていて、助手席側の男性が僕に話しかけてきた。

「ここにテントを張るんですか?」

「あっ、はい(やっぱりダメだったのか・・・)」

「ついさっきなんですが、ここから200メートルくらい手前の林道で熊を見ましたよ」

「えっ?! この辺りって熊いるんですか?」

「はい、なのでこの辺は危ないかもしれませんよ」

どうやら、近くで熊を見たあとすぐ、近くでテントを張ろうとしていた僕を見つけたので、警告してくれたようだ。

僕は、

「ありがとうございます。とりあえず、もう少し離れた場所を探します」

と、その2人にお礼を言いながら、引きずり出しかけたテントを再びザックに押し込んだ。

その2人は「お気をつけて」と言いながら車を出したけど、20メートルくらい進んだところで、止まり、再びバックして戻ってきた。

「えっ? (今度はなんだろう?)」

再び僕の隣で止まり、

「下まで乗っていきますか?」

どうやら、近くに熊がいて危険だから僕を安全なところまで連れていってくれようとしているようだ。申し出は大変ありがたいけど、ここで車に乗ると言うことは、リタイアするということになるので、丁寧にお断りして、水を補給して重くなったザックを背負った。

はて、どうしよう? 

とは言うものの、どうもこうもない。先に進みながらある程度離れた場所にテント適地を探すしかない。

とりあえず、一刻も早くここから離れて、熊の手が及ばないところまで行かなくては・・・。しかし、なんだかんだでここ黒河峠には50分ほど滞在していたことになるので、今の時刻は午後2時半、時間の余裕はあまりない。ある意味、これも立派な熊の被害に遭った。と言うことになるでしょう。

とりあえず、一刻も早くここから離れて、熊の手が及ばないところまで行かなくては・・・。しかし、なんだかんだでここ黒河峠には50分ほど滞在していたことになるので、今の時刻は午後2時半、時間の余裕はあまりない。ある意味、これも立派な熊の被害に遭った。と言うことになるでしょう。

大量の水を補給したせいで、ザックの重さは20キロ近くになっていたはず。黒河峠からはしばらく登りが続いていので、体温がグングン上がっていくのが自分でもよく分かる。大量の汗が止まらないので、ハンカチをバンダナのように額に巻いて、顔面に垂れてくる汗を止めようと思ったけど、あっという間にハンカチはビショビショになり、汗が溢れてくる。その度にハンカチを絞り再び額に巻くけど、やっぱり直ぐに汗が溢れてくる。そんなイタチごっこをしていると、登山道の脇に小さな沢が出てきた。水量もそこそこあり、すぐ近くにテントが一張り張れそうなスペースもある。

「おっ! ここ、いいじゃん!」

って思ったけど、いかんせん、先程の熊がいたという黒河峠からそれほど離れていない。う〜ん、水場も近くて、最高の場所なんだけどな〜。

僕は後ろ髪を引き抜かれる思いでそこを離れた。

先程の沢で、ハンカチを濡らして、今度は首に巻いた。ヒヤッとして気持ちいい。のは一瞬だった。すぐにハンカチは生ぬるくなり、首にまとわりついた。

その生ぬるくなったハンカチを首から外し、端を持ってグルグル回して、再び首に巻くと、ちょっとヒヤッとする。強制的に帰化熱を発生させてハンカチの温度を下げる。

そんなことを何度かやっていると、稜線に出た。目の前の景色が一気に広がり、眼下には琵琶湖が広がっている。稜線上なんで今までの樹林帯のような日陰は期待できない反面、日本海側から吹いてくるヒンヤリとした強い風が気持ち良い。その風が僕の体温を一気に下げた。

不思議なもので、体温が下がると、途端に元気になった。ここから進むのであろう、うねった尾根が目の前に広がっている。時刻は午後4時半。翌日以降のことを考えると、そろそろ今日の行動を終わりにしたい。しかし、風が強く稜線上にテントを張るのは危険だ。どこまでこの稜線が続いているのかは分からないけど、とにかく進むしかない。

なかなかテントを張れそうな場所は見つからなかった。時刻は午後6時半。もうすぐ寒風というところで、右側に一段下がったところがあり、完全に水平ではないが、なんとかテントが張れそうな場所があった。近くに水場は見当たらないけど、今日と明日の分の水はすでにザックの中に入っている。稜線に対して10メートルくらい下がっているので、風の影響もほとんどない。

よしっ! 今日はここに泊まる!

予定より随時進んだけど、1日目からかなりハードだった。それと、思っていたより暑い、いや、熱い。昼間、特に午後なんか歩けたもんじゃない。出来れば午前2時頃に行動を開始して、昼の12時にはその日の行動を終えたいくらいだ。でも、知らないルートを夜に歩くのはあまりにもリスキーだ。なのでせめて朝の早いうちにに行動を開始して、午前中の涼しい内に距離を稼ぎたい。

そんなことを考えながら、1日目の夜は更けていった。

2日目

2日目起床。まだ暑さは感じないけど、今日も暑くなる雰囲気がテントの中にいてもひしひしと伝わってくる。

午前6時出発。本当はもっと早く出発したかったけど、昨日の疲れが残っていて二度寝してしまい、この時間になってしまった。

再び稜線に戻る。昨日まで吹いていた風は今日はほぼ無風だった。生ぬるい空気が身体にまとわりつく。まだそれほど暑く無いけど、太陽が顔を出せば気温が上がってくるであろうことは簡単に想像できる。なので、気温が上がる前になるべく距離を稼ぎたい。今日の目的地は水坂峠。距離はそこそこある。

水はあと1.5リットル。次に水を補給できそうなのが抜土(ぬけど)なので、そこまではなんとかなるだろう。

とにかく、気温が上がる前に距離を稼ぐことだけを考えて歩く。

1時間30分ほどで抜土に到着した。昨日、ここまで来れていたら、随分と楽だろうな〜。と思ったけど、昨日の体調で無理にここまで来ていたら恐らく到着が午後の9時を過ぎていたと思う。

ここ抜土には水量の多い沢が何本か流れている。その一本の沢で浄水器を使い水を調達する。

いなかた

高島トレイルではそのまま飲める水場はありません。沢の水を浄水器を使ったり、煮沸して、飲料用にする必要があります。

ゲットした水は、持っている水筒全てを満たして、約5.5リットルになった。単純計算でザックは再び5.5kg重くなった。

もし、今日も暑くなり、目的地の水坂峠まで行けなかったら・・・と考えると、今の僕には水は金より貴重だ。

抜土を出るとしばらくは登りが続く。抜土から2時間ほどで大御影山に到着。気温はグングン上がっている。これじゃあ、ペースは上がらないなぁ。って思っていたけど、時計を見ると、ほぼコースタイム通りだったので、それほどスピードが落ちているわけではないけど、とにかく暑い。

大御影山から一度大きく下り、再び登り返すと、大日尾根に合流する。ここで初めて登山者に会う。向こうもソロだった。話すことは一択、お互い暑さについて熱く語り合った。しばらく話してからお互いの健闘を讃えて分かれた。結局、3日間で会ったのはこの人が最初で最後だった。

登山中に誰かと話すと、見えないパワーが貰えるような気がする。のは僕だけだろうか? この日も、話したのはほんの数分だけど、よしっ! やるぞっ! っていう気になる。これなら今日は水坂峠まで行ける気がしてきて、足に力が入った。

それからほんの10数分後、、、。暑い、とにかく暑い。ここは稜線上でまばらに木が生えてはいるけど、人が休める程の影は作ってはくれない。それでも、わずかにある影を、影ふみ遊びのように片っ端から踏んでいく。

水はそこそこ持ってはいるけど、もし、今日、次の水場まで辿り着けなかったら・・・そんなことを考えると、無駄にはできない。なので、この辺りから、水は飲むものではなく、舐めるものになった。

暑い、暑い。

あれ? なんか身体が変だぞ。

熱中症?

いやいや、僕に限ってそんなことは絶対に無い。なんて思いが、すでに思考が狂っている証拠だ。冷静に判断しろ! オレ!

とにかく、もし、熱中症だったら、水分を十分に摂って、涼しいところに横になるべきだ。

しかし、十分な水分も無ければ、涼しいところなんて、マッチを擦って、その炎の中に見える幻想のようなものだ。

ハア〜。僕のTシャツの背中に絶望の文字が聖痕のように浮かび上がっていることだろう。

ついに足が動かなくなり、ストックに寄り掛かるようにうなだれる。

だめだ、絶対に水坂峠までは行けない。ここで僕は頭蓋骨の中で、乾燥してカラカラと音を立てていそうな脳みそをフル回転させて考える。

水坂峠まで行けないということは、何処かからエスケープしなくてはならない。しかし、僕は詳細な地図を持っていない。マキノ駅に置いてあった、裏に簡易的な地図が書かれたバンプレットがあるだけだ。公式マップもあるのだが、どうしても当日までに手に入らなかったのだ。

この辺りの土地勘が無い僕には、闇雲にエスケープしても危険だ。とりあえず、一泊出来るだけの水はギリギリだけどある。だったら、今晩はどこかでビバークして、明日、車道が通っている水坂峠まで行ってエスケープした方が無理が無いような気がした。

そういう結論が出た。カラカラの脳みその割には、まともな結論が出たんじゃないだろうか? と、自画自賛する。背中の絶望が希望に変わったと思う。

そうと決まれば、気持ちも少し楽になり、ノロノロと動き出す。まずはテントを張れる場所探しだ。

辺りをキョロキョロ見ながら、ふらふら歩いていると分岐にぶつかった。水坂峠方面は右、左に行くと高島トレイル最高峰の三重嶽まで200メートル。本来なら真っ先に水坂峠に向かうべきだが、もし、今回、水坂峠でエスケープするとして、次回は水坂峠から続きを歩くことになるんじゃないかと思う。そうなった場合、一ヶ所通ってないルートがあるのはなんか気持ち悪い。片道200メートル、往復で400メートル。しかも、山頂までは緩やかな斜面だし、なんといっても、ここからは樹木も多く、それによってもたらされる影も半端じゃねー。望んでも得られなかった影がたくさんあるのだ。僕はなんの躊躇もなく左に向かった。

三重嶽山頂到着。午後2時半。

大日尾根に合流してからのコースタイムは1時間40分。実際に掛った時間は・・・2時間50分。

時間は全く読めなくなっている。

三重嶽山頂を踏んだので、あとは水坂峠に向かいながらテントを張れそうな場所探しだ。

三重嶽への分岐まで戻りしな、分岐の近くにテントを張れそうな場所があった。しかし、出来れば、もっと水坂峠まで近づいておきたい。明日が楽になるからだ。まだ、身体は動く。もっと進もう。

しばらく歩くと、小さい池があった。いや、大きな水溜まりといった方が適切かもしれない。やったー! これで水が補給出来る。先程から水は舐めるものになっているので、これで久しぶりに水が『飲める』。と思ったが、その池(水溜まり)を覗き込むと、水が茶色。しかも油のようなものまで浮かんでいる。うっ! これを飲むのか? いや、たとえ浄水器を使用したとして、飲めるのか? 飲んでいいのか? 

いやいや、ここの水を飲むときは幻覚、幻聴が始まってからだ。今はその時じゃない。僕は泣く泣く諦めた。

この後、しばらく急な下りが続く。下りだから楽だろうと思うだろうけど、そんなことは無い。重い荷物を背負っているうえ、身体に思うように力が入らなくなっているので、ストックと木を頼りに下っていく。富士山の山頂直下を登っている時のように、10歩あるいたら数分休んで、10歩あるいたら数分休んでを繰り返すので、なかなか進まない。

道標に三重嶽まで1.3kmとある。ということは、三重嶽から1.3km歩いてきたことになる。下り基調のルートなので、普通なら30分程度の距離だけど、今日は1時間10分掛かった。通常の倍だ。

時刻は16時、そろそろ限界だと思い始めた頃、斜面は緩やかになった。どこか、テントを張れそうな場所はないか? 贅沢は言わない。地面がフカフカで水平なのが理想だが、そんな一等地はここには無い。ルートを少し外れて、ウニョウニョした木の間に入ってみる。

すると、座るのに具合の良い木があった。思わず、ザックを下ろして座り込んでしまった。座りながら、ボーッと見渡すと、なんとかテントが張れそうな場所が目に入った。それもフカフカの水平だ。

早速、テントをザックから出して・・・、と言いたいところだけど、身体が動かない。何もする気がおきない。僕はそのまま20分くらい動けなかった。

陽が傾き、気温が少し下がって、気分が少し楽になった。ノロノロと立ち上がり、テントを張った。側から見ている人がいたら、なんでこの人は超スローモーションでテントを張っているんだろう? と思ったかもしれないけど、そのような人はいなかった。

テントが立ったら、速攻テント内でゴロゴロしたいけど、いちいちスローモーションになってしまう。

なんとか、テント内に自分の身体を押し込む。マットを引く元気は無い。変な形で横になったまましばらく動けなかった。あれ? テントを張る前は水平だと思っていたけど、横になると結構な傾斜があることに気がついた。あぁ〜、そうか! 木に座っていた時、斜めに座っていたので、斜めの地面が水平に見えたんだ。まぁ、いっかー。身体が転がるほど斜めってわけじゃないから・・・。

一呼吸ついて、テントの入り口のすぐ外に転がっているザックを引き寄せ、食料を引っ張り出す。と同時に、残りの水の量を確認する。水はギリギリだけどなんとかなりそうだ。食欲は無いが、明日のことを考えると食べないわけにもいかない。とりあえず、アルコールのお供に持ってきていたビーフジャーキーをゆっくり噛む。それと水分もミルクティーにしてたっぷり補給する。胃が生き返ったので、鶏団子スープを二杯流し込んだ。

ふう〜。生き返った気分だ。

さて、明日は水坂峠でリタイアするので、その後のことを考えなければならない。

一応、最低限のエスケープルートの情報をプリントアウトして持ってきている。それによると、水坂峠からエスケープした場合には、車道を少し歩くと『保坂』というバス停があり、それに乗ると湖南線の駅に行けるらしい。しかし、そのバス停の時刻表までは分からない。ゴール地点のバス停の時刻表は調べているけど、さすがにエスケープルートひとつひとつのバス停の時刻表までは調べていない。

もし、このバスが一日一本しかなくて、そこに到着した時には唯一のバスが出た後だったら・・・。なんて不安が頭をよぎったので、スマホで調べてみる。便利な世の中になったもんだ。こんな山奥でも色々な情報を調べられるんだから・・・。って思っていたけど、電波が弱く時刻表のサイトを開こうとするとしばらくクルクルした後、タイムアウトになってしまう。何度が試したけど同じだった。テントから出て、開けた場所までいければいいんだけど、そんな元気は無い。その時、ふと気付いたけど、ホームページは開けないけど、メールは受信出来てる。あっ! メールは行けるのか? と思い、ダメ元で友達に『保坂』のバス停の時刻表を調べてくれるよう依頼した。メールは送れた(と思う)。

しばらく待つと、メールが返信されてきた。やっぱりメールはいけるんだ。友達にお礼のメールを返して、時刻表を確認する。うん、都会ほどではないけど、そこそこ本数はある。これなら、時間に追われることなく自分のペースで歩いてもなんとかなりそうだ。

ちょっとホッとして。今日1日のことを振り返りながら。眠りについた。

3日目〜反省

結局、3日目は予定通り水坂峠でリタイアし、無事に帰宅出来ました。

反省

今回の失敗の最大の要因は暑さだったのは間違いない、と思います。そもそも、僕のホームグランドの丹沢も低山が多く、真夏でもガンガン登っていて、自分は暑さには強いんだ。と思い込んでいたようです。完全に慢心でした。これ以降、僕は極端に暑さに弱くなったような気がします。トラウマでしょうか?

今思い返してみて、どの段階で、誤ったのか考えてみると、やはり、計画段階からちょっと無謀だったと思います。真夏の低山を舐めてました。特に初めての山域だったので、どの程度の暑さかは想像も出来なかったのだと思います。でも、これはしょうがないよね。行ってみなけりゃ分からん! ということだってあると思います。

それと、やはり1日目の熊騒動も少なからず影響はあると思います。車で400knの移動と半分徹夜で滋賀県まで来て、初日からガッツリ歩いて、間違いなく翌日に疲れが残っているような状態での灼熱地獄だったわけですから、ある意味無事に帰れたのはラッキーだった、くらいに思わなくてはなりませんね。

今回のことで分かったことは、自分は体温が上がると、力を十分に発揮出来なくなる。ってことと、熱中症の初期症状はこんな感じなんだ。ってことが分かりました。なので、今回の経験はそれ以降の山行に多いに役立っています。

僕がよく言っていることに、

「死なない程度の失敗は、たくさん経験すべき」

というのがありますが、今回の失敗はさすがにお勧め出来ませんね。同じ失敗でも、自分で経験してみれば! っていうのと、そうじゃないのがあると思いますが、今回は間違いなく後者ですね。

でも、せめて、自分がどの程度の暑さまでは行動可能なのかということは知っておいても、いいんじゃないかとは思いますが、それをどうやって安全に確認するのかは僕には分かりません。

なので、やはり、暑い時の行動は控える(元も子もないな、おい)、のは無理だとしても、少しでも体調がおかしいと思ったら、脳みそがカラカラ音を立てる前に、なんらかの回避行動を取れるように、登山計画時にシュミレーション(熱中症への対応やエスケープルートの確認など)を行っておくのも大事かと思います。

いなかた

ブログをリニューアルして、この企画『山の失敗談』は始まりましたが、当初は書くことなんて無いよ〜。だからどうせ2〜3回で終わるんだろうな。って思っていたけど、気が付けばもう10回目・・・。しかも、ネタはまだまだある。

自分は山で失敗なんてしていないよー、と思っていても、実は失敗だらけだったということを、この企画で気付かされました。でも、その失敗を客観的に見たら、そこから色々なことを得ていると気付いたのも、また事実。

軽微な失敗をも恐れて、なんの行動も起こさない人もいますが、失敗が必ずしもマイナスじゃないってことを、僕は僕自身に教えられたような気がします。
なので、これからも

「死なない程度の失敗」

をしていくと思うので、暖かく見守っていただければありがたいっす!!

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