"The mountains are calling..." by JOHN MUIR

【不思議】山の不思議体験 第一話「呼ばれた?(恋路峠編)」

山登りを始めるようになって、繰り返し見ている夢があります。同じ夢というわけではないけど、同じジャンルの夢を繰り返し見ます。

それは、動物に襲われる夢で、熊に襲われるパターンが一番多いけど、ライオンに襲われた事もあります。

襲われるシチューションは色々なパターンがあるけど、最後は死んで目が醒めるのはいつも同じですね。そんな時は寝巻きがわりのスウェットが汗でびっしょりになっていたりします。

そんな僕がある日、ちょっと不思議な体験をしたので、お話したいと思います。幽霊とかは出てこないので、その手の話が苦手な人でも大丈夫です。しかし、骨は出てきますが・・・。

あれは、2015年の暑くも寒くもない梅雨の合間の6月某日のことでした。

神奈川県の西丹沢にある、検見ヶ丸と言う知る人ぞ知る的な山に登りました。昭文社の《山と高原地図》にも山名こそ載っているけど、登山道は波線さえ載っていないような山です。

インターネットで、十分に下調べしていたおかげで、山頂には無事に登頂し、それは下山時に体験しました。

山頂を出発して幾つかのピークを越えて、恋路峠と呼ばれる場所で林道に出ました。恋路峠なんてロマンチックな名前ですが、恋路感も無ければ、峠感も無い、ただの林道のコーナーです。何で、こんなロマンチックな名前が付いているのでしょう?

恋路峠

昔々、峠を挟んで両側にある村の男女が恋に落ちました。その両側の村は普段から山の境界を巡って対立していて、あまり仲が良くなく。ここの峠を境にしていつも、いがみ合っていました。もちろん、昔から仲が悪かったわけてはありませんでした。

この辺りは平らな場所も少なく、田畑が作りづらく、それでも、少ない平坦な場所を切り開いて、細々と耕作を続けていました。収穫もそれほど多くはありません。なので重い年貢を払うと、自分たちの食べる物が手元にはほとんど残りません。

昔の日本では、今とは違い、生活と山(森)を切り離して考えることは出来ませんでした。

村からもっとも近いところに竹を植え、色々な物を作ります。竹は春になると竹の子も採れ、生活必需品と食糧とを与えてくれる、大事な村の資産です。竹は成長が非常に速く、繁殖力もあるので、毎年その恩恵に預かることが出来ます。

その少し奥にはスギやヒノキを植え、幹は建築材とし、乾いて落ちた葉は着火剤になり、これもまた生活には欠かせません。

さらに奥(深山)には紅葉樹を植え、木の実やキノコなどを採り、さらに紅葉樹林はその根を広く張るので、山の崩壊を防ぐとともに、保水にも一役買っています。そのお陰で沢の水が枯れず、1年を通して安定して飲み水を得る事が出来ます。

このように、人の生活と山とは切っても切れない仲です。それ故に、村の境界はシビアに管理していました。しかし、ある年、大雨が続き、山の一部が崩壊し、村の境を曖昧にしていました。

それぞれの村から代表を数人出し、幾日も掛けて話し合い、新しい境界を決めようとするのですが、前述の通り、山は人の暮らしには切っても切れないものです。少しでもその領分を広げたい、という思いが話し合いは平行線を辿り、やがて、いがみ合いに発展してしまい。結局、最後は物別れに終わりました。

ある年、再び大雨が続いた年があり、その年は、いつもの年よりカミナリが多く落ちたせいなのか、マツタケが大量発生しました。

マツタケは食べても美味しいですが、町に持っていくと高価で売れます。そうなると人は1本でも多く採りたいと考えるようになります。境界が曖昧になった今は、ドサクサにまぎれて隣の村に侵入して採取する輩が後を立たず、イザコザが絶える事はありません。そもそも、境界が曖昧になっているので、お互いに何を言っても解決するはずもなく。村々の関係に決定的な亀裂が入ってしまいました。

しかし、交流が全く無いわけではありません。まだ、仲が良かった頃には、頻繁に交流があり、当然、それぞれの村の男女が夫婦になる事も珍しくなかったので、交流が完全に絶たれる事はありませんでした。

そんな中、恋仲になった男女が、周りの目を盗んで会っていたのが恋路峠です。もちろん、当時はその様な名前で呼ばれてはいませんでしたが、ある年の暮れに近い、その年でも一番寒い日の朝に、ここで、男女の遺体が発見されました。お互いの将来(婚姻は勿論、会うことさえ出来なくなりました)を嘆いて、駆け落ちからの心中だったようです。

その後、時をおかずに、さらに二組の男女の遺体が同じ場所で発見されました。どちらも同じように心中だったようです。所詮、狭い村で村人全員が家族のようなところです。二人の仲を隠し通せるはずもありません。すぐに村人全員に知れ渡り、二人を別れさせようと、嫌がらせに合い、それを苦にした結果の心中でした。

さすがに、村の若者が立て続けに三組も死に追いやられたと言うことで、彼らの亡くなった、現在でいうところの恋路峠に慰霊の碑が建てられました。毎年、命日にはそれぞれの村の代表がここに集まりお参りをしました。これは昭和の始め頃まで続けられていたそうです。もちろんその頃には二つの村は昔のように仲良くなっていました。

ちなみに、その慰霊碑は昭和の終わり頃までは、その存在を確認出来たそうですが、現在では跡形も無くなって、その正確な場所を特定する事も難しくなっています。

そんなとこがあって、誰ともなくここを恋路峠と呼ぶそうになったそうです、、、、、、、という話は全く、全然、微塵も聞いたことはありません。

でも、そんな想像をかき立てる名前ですよね。

ずいぶん、話が脱線しましたが、話を戻します。

恋路峠に出たら、あとは林道を進めば車の停めてある道志の湯の近くまでは、ほぼ一本道です。今日のはそれほど難易度の高いバリエーションルートではありませんでしたが、それでも(文字通り)峠を越えたので、緊張が解け、気分良く歩けます。鼻歌なんかも出たりしています。

林道は歩きやすく、特に恋路峠付近は紅葉樹林帯で、適度に日陰を作り、気持ちの良い森です。

林道は右側が山で、左側は谷になっています。谷の底には小さな小川が流れています。

フンフンと鼻歌混じりに歩いていると、ふと、右手側の斜面の上に目がいきます。そこは枝尾根の突端なっていて、その尾根を巻くように林道がつけられています。つまり、道がUの字になっていわけです。まぁ、林道ではよくある、等高線に沿って道がついているパターンですね。

Uの字の内側が尾根で小高くなっていて、その稜線に出るには高さで10mくらいは登らなくてはならなりません。もちろん、登山道、仕事道、獣道のようなものは確認出来なく、つまり、そう簡単には尾根の上には上がれない地形になっています。

何故だか、その尾根の上が気になります。こんな事は今までは無かったですね。もちろん、その尾根の上に目立つ大木や、東屋のような人工物があれば別ですが、ごくごく普通のなんてことはない尾根に見える。

Uの字の折り返し点、つまり尾根の突端で立ち止まり、上を見上げて見る。林道を作る時に、少しその尾根の先を削ったようで、垂直の壁になっていて、尾根の上の様子は分かりません。

気にはなるものの、その理由がはっきりしない、というか、そんな理由なんて無い。ただの気の迷いだ。最初から理由なんて無いんだ、と自分に言い聞かせるように、歩き始めます。

Uの字の折り返し点を過ぎ、尾根の反対側に出た。こちらは向こう側より、傾斜が緩い。無理をすれば登れない事はなさそうだ。もちろん、登山道、仕事道、獣道なんてものは無いので、ただの斜面をゴリゴリ登るだけですが。

幸いなことに、僕は一時期、山の仕事(林業では無い)をしていたお陰で、普通の人が登らない、下らない、場所でも登り下りするノウハウがある。いや、ノウハウと言うと立派な技術のようだが、一種の職業病のようなものだ。今見ればただの崖のようなところを登り下りしていた。そうしなければ仕事にならなかったからだ。

そんな僕にとって目の前の斜面は、口笛を吹きながら(吹けないけど)でも登れる程度の斜面なので、登ろうと思えば簡単に登れます。とは言うものの、そんな訳の分からない理由で、無駄な行動はしたくありませんよね。行動はしないけど、気になるのは変わりませんが・・・。

後ろ髪を引かれる思いで、その尾根を離れる・・・。

10m、20mと離れ、何度か振り返ってみる。尾根から離れれば上部の様子が見えるようになると思った。でも、どんなに離れても、特に珍しくもない森が見えるだけ。

30m、40m、50mと次第に尾根が小さくなってきた。

あ〜! もぅ〜! 気になるぅ〜! と、気付いたら、急ぎ足で今来た道を戻っていた。

いてもたってもいられなかったせいか、普通なら斜面をジグザグに登るけど、この時は真っ直ぐ直登していた。高さは約10mほどなので、あっという間に尾根の上部に出た。。。

辺りを見回す・・・、特に何もない。若いスギの植林の間に所々広葉樹も混じっている。なんて事はない、日本のどこでも見られる植林地だ。

う〜ん、何でこんな所が気になったんだろう?

尾根の突端の方に歩いてみる。ん? 何だあれ?僕が立っている2〜3メートル先に、白い棒の様な物が落ちている。

骨? かなり太くて長い、人間で言うと大腿骨? えっ! 人間?

いやいや、まさか、こんなところに・・・?

僕は怖いもの見たさと、もし人間なら通報する義務があるはずなよな〜。なんて冷静な自分がいることに驚きつつ、その骨らしきモノに近づいてみる。

先ほどの白いモノは骨で間違い無いと思う。すぐそばに背骨の様なモノもある。

問題はこの骨の主が生前、二本足で歩いていたか、四本足で歩いていたかだ。

もちろん、僕は骨の専門家でも何でもない。その骨を見ただけで、生前の姿を想像する事は出来ない。

しかし、骨の側に登山靴や山シャツ、ましてや、風雨にさらされ、ボロボロになったザックなんかがあったら、いくら僕でも想像力が働く。

辺りを見廻してみる。今までは気がつかなかったけど、ある程度の範囲に渡って骨が散乱している。それらの骨を観察しつつ、辺りをうろついていると、それはあった。頭蓋骨だ。以下の画像は勇気のある人だけ見てください

片側の角は完全に折れて紛失していて、もう片方の角は半分くらいのところで折れているけど、ある程度立派な角があったことは容易に想像できる。そのせいで、その主が雄の鹿だということは、僕にも分かった。

全てが納得いった。そうか、彼に呼ばれたんだ。やたら尾根の上が気になったのはそのせいだ。

でも、こんな事は初めてだ。そもそも、僕には霊感なんか無いし、そもそも第六感だってあるのか怪しいくらいだ。

では、何だったんだろう? 何故、僕は、この尾根の上に来たのだろう? 今までだって、何のヘンテツもない尾根なんかに興味を持った事は無いし、一度通り過ぎたのにも関わらず、わざわざ引き返すことなど、何かを落とした時以外には無い。

そう考えると、やはり「呼ばれた?」と考えると辻褄が合いそうだ。でも、偶然ということだってあるだろう。偶然、この日僕はここに来て、偶然、気になった尾根の上に、偶然、鹿の亡骸があった。ただそれだけのことなのかもしてないけど、人は往々にして、このような偶然の連続を必然、または奇跡と呼ぶ。

いやいや、冷静に考えよう。今日、僕がここに来て、彼に会ったのは、偶然なのかもしれないし、必然なのかもしれない。でも、そんな事はどうだっていい。

だって、僕が彼にここで会ったということは間違いの無い事実なのだから・・・。

僕は彼の骨を前に、手を合わせ、静かにその場を後にしました・・・。


その後、急に毛深くなったり、頭から角が生えてきたということはありません。もちろん、原因不明の病気で寝込んだり、事故にもあっていません。かといって、急に運気が上がり、宝くじが当たったなんてこともありません。しかし、相変わらず動物に襲われる夢は見ます。

あの日、僕は何で彼に呼ばれたのでしょう・・・?

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