"The mountains are calling..." by JOHN MUIR

【登山】志田尾根三山縦走してきました【前編】

登山 OD活動

今年の4月にこのサイトをリニューアルして、それを機に、僕のホームグラウンドである丹沢の山々を東から西に向かって、登り直していこうとと、ふんわり考えていました。

丹沢の主だった山はほぼほぼ登っているので、2周目と言えますね。もちろん1回しか登っていない山もあれば、20回近く登っている山もあります。なので、東から西にと言っても、ルールは適当で、同じ山を何度も登ることもあれば、突然丹沢の最西端の山に登るかもしれません。基本はその時に登りたい山に登るということです。

しかし、リニューアルしてから約8ヶ月、未だ丹沢の東の端っこをチョロチョロしています。

しかも、今回は西に向かうどころか以前登った丹沢前衛の山のさらに東側の山です。こんなペースでいったら、僕はあと何年で山中湖を見ることが出来るのでしょうかwww

と、言うことで今回は志田尾根三山を縦走してきました。志田尾根は前回登った丹沢の山(鐘ヶ嶽)より東側にあります。標高も300m前後と山登りをしている人からすれば、何だそんなもんか! と思うかもしれませんが、かなかなどうして、面白い山です。

この尾根は山登りを始めた15年ほど前にも歩いていますが、色々な山の経験を積んだ今、再びこの山に登ってみて、果たして僕は15年分の成長を感じることが出来るのでしょうか?

今回はその前編で、秋川橋の下の河原に車を停めて、そこから登山口(登山口を間違えた)を経て、富士居山までです。


山行データ

山行日2020年12月26日(土)
コース相模湖駅付近のコインパーキング〜底沢バス停〜登山口〜小仏峠〜謎の墓石群〜景信山〜謎の墓石群〜小仏峠〜登山口〜底沢バス停〜相模湖駅付近のコインパーキング
山 名景信山(727m)
山 域高尾エリア
累積標高(+−)1,189m
歩行距離15.52km所要時間5時間23分

マップ

高低グラフ

山行記録

【09:41】愛川橋スタート

愛川橋の下に車を停めてスタートします。

いつもならキャンパーさん達で一杯なのですが、今日はほとんどいませんね。

河原から一段上がったところに綺麗なトイレがあります。

ここからしばらくは車道を南下します。

トンネルをくぐります。

車道と並行して中津川が流れています。

小学生の頃に、友達のお父さんが釣り好きだったので、毎週のように一緒に連れてきてもらいました。あの頃とは随分と風景は変わっていますね。

でも、水の綺麗さはあの頃と変わっていませんね。

馬渡橋を渡ります。手前を右に曲がれば塩川滝です。

橋を渡って、車道をそのまま進むんでもいいんですが、左上への歩道を進むとちょっとだけショートカットできます。

車道を進んでもこの先でUターンして歩道の先と合流します。車道はこの先、歩道が無くなり危険なので、歩く場合はショートカットルートをお勧めします。

ショートカットルートを進むと、先程の車道がUターンしてきたところと合流します。

この案内板のすぐ後ろが中学校なので、そこが城跡だと思っていたけど、どうやら違うようですね。機会があれば城跡に行ってたいと思います。


田代城址〈たしろじょうし〉

田代城は室町時代の山城で、自然の地形をそのまま要塞とした武士の居館であった。
 築城の年月は不詳。城域は二三、三〇〇平方メートルほどの広さをみち、南の方を表口としていた。
 城主は小田原北条氏の幕下にあった内藤氏で、下野守秀勝〈しもつけのかみひでかつ〉とその子三郎兵衛秀行〈さぶろうひょうえひでゆき〉の二代が在城し、田代・半原・小曽郷(海底)・隅田(角田)・箕輪下村・坂本・五坊(北原)・磯辺を領地としていた。
 永禄十二年(一五六九)十月、武田信玄小田原攻めのおりに、この城は落城したと伝えられる。
 城址には石塁跡と守護の八幡社があり仕置場、うまやなどの地名を残している。

昭和五十年十二月
愛川町教育委員会

車道に合流して、坂を登るように進みます。この辺りは歩道が無いので、車が来るとちょっとビビります。

道の脇に石碑が並んでいます。

詳細は以下。

上原の庚申塔
愛川城指定文化財

田代上原の庚申塔は、数ある町内の庚申塔の中でも最も古く、寛文八年(一六六八)の造立である。
 碑面には、神像とも仏像ともとれる珍しい異形像が浮彫されており、初期庚申塔の一形態を示している。下部には三猿が刻され『相州愛光郡上川入田代村』とある。
 庚申とは干支のうち、庚(かのえ)ろ申(さる)の組み合わさった日で、この日を特別な日として信仰行事が行われていた。これを庚申侍といい、塔を建てる習慣があった。

昭和五十七年三月一日
愛川町教育委員会

上の石碑が並んだ近くの道の脇の斜面に、ポッカリと穴が開いていました。15年前に来た時は気が付かなかったなぁ。その頃はもっとちゃんと塞がれていたのかもしれませんね。

奥を覗いてみる。間違いなく人の手で作られたものだ。防空壕? 古墳の石室? ただの近所の人の物置? いつ出来なのかも、そもそもここの解説が無いので何の穴なのかはわかりません。

このあと登る富士居山です。

もう少し左右のバランスがよければ、相州富士とか呼ばれてたのかな?

上の写真の左に視線を動かすと、丹沢前衛の山並みが、尾根の一本一本まできれいに見えます。

あれ? 以前来た時はこの辺りはヤブだったのに・・・。

この案内板の後ろもヤブで、覗き込むことが出来たのに、いつのまにかこんな鉄板が・・・。

胴塚

永禄十二(一五六九)年十月、当町三増の原で行われた「三増合戦」は、甲州の武田、小田原の北条両軍が、力を尽くしての戦いだったようで、ともに多くの戦死者が出た。
 そのおり、討ち取られた首級は、ここから一五〇メートルほど上手の土手のうえに葬られ「首塚」としてまつられているが、首級を除いた遺骸は、すぐ下の志田沢の右岸わきに埋葬され、塚を築いてそのしるしとした。
 この地では、それを「首塚」と呼び、三増合戦にゆかりのひとつとして今に伝えている。

平成七年三月
愛川町教育委員会

胴塚から少し進むと、分岐があります。道なりに、緩く右に進むと、三増合戦場跡があります。武田軍と北条軍が戦った跡ですね。今はその面影は全くなく、のどかな野っ原になっています。本当にこんなところで戦があったんですかね。

また、この写真の左側黒いところの上には・・・

・・・首塚があります。首塚と言うと、やはり大手町にある将門の首塚が有名ですね。

首塚

不動明王を祀る小高い所を首塚という。宝永三年(一七〇六)建立の供養塔がある。
 このあたりは、三増合戦(一五六九)のおり、志田沢沿いに下ってきた武田方の山県遊軍が、北条軍の虚をつき背後から討って出て、それまで敗色の濃かった武田方を一挙に勝利に導くきっかけをつくったところという。
 この戦いのあと、戦死者の首を葬ったといわれるのが首塚であり、道をへだてた森の中には胴を葬ったという胴塚がある。
 なお、三増合戦での死者は北条方三二六九人、武田方九〇〇人と伝えられる。

愛川町教育委員会

ちょっと引いたところから眺めてみます。ここに首塚があると知らなくても、ちょっと異質な空間だと思います。

階段を登ると・・・

・・・祠があり、そこに・・・

・・・不動明王が祀られています。

解説板によると、三増の合戦から約150年後に建立したとあります。かなり時間が経っていますね。

もともと、ここにはなんらかの供養塔があり、なんらかの理由により150年後にここの祠をリニューアルする際に、ついでに不動明王を安置したのか?

それとも、ここの村に何らかの不孝が続き、「こんなに不孝なことが続くのは、この首塚の呪いじゃね?」 と言う話になり、その呪いを鎮めるために建立したのか?

まぁ、本当のことは分かりませんが、空想が膨らみますね。

三増合戦場との分岐を左に進んで、塀の切れ目を左に曲がってしまった。本来の登山口はもう少し先だったのに・・・。

左折すると茶畑が広がっている。以前来た時は普通の畑だったと記憶しているのだが・・・。

!!!

【10:32】富士居山取付き

茶畑の間をしばらく道なりに進むと、正面に森の中に続く踏み跡がある。とりあえず、ここから取り付く。

あれ? 確かここの登山口は階段だったような記憶が・・・、ここで、やっと自分が進んでいるルートがおかしいことに気がついた。しかし、地形図を見ても、この先はそれほど急でもないので、このまま進むことにした。

冒頭で『果たして僕は15年分の成長を感じることが出来るのでしょうか?』なんて言っていたのに、実際はこんなもんです。全然セイチョーしてねーな。

青いラインが本来の登山道ですが、実際には少し手前で左折してしまい、赤いラインを進んでしまいました。

右下の青字に白い点が3つのところが、首塚です。

森の中に入ると、すぐに植林地に入ります。珍しくキレイに1列に並んでいますね。今まで、数えきれないくらい植林地を歩いているけど、こういうのは珍しい。

上のマップを見てもらえば分かるけど、僕は変なところから山に取り付いてしまったようだ。

正規の登山道に出た。もう、ここまで来れば富士居山はすぐだ。

ん? 枯木注意?

あぁ、これのことか。まぁ、注意してくぐれば問題無いな。

ヨイショ、と倒木をくぐろうと腰を曲げた時、倒木の向こうに・・・あっ! あれは?

あああー、やっぱり、写真には写らないなー。実は、倒木を越えたところにある木の根元にある穴から蜂(スズメバチ)が、大量に出入りしているのが見えました。

とっさにコンデジで撮影したので画質は悪いですが、何が起きているのかは分かると思うので、動画をアップします。

とてもではないけど、あの脇を走り抜ける勇気は僕にはありません。どうする? ここで撤退するか? 

一度、安全なところまで下がって、地形図を確認します。登山道は稜線上を通っているので、右にせよ、左にせよ、迂回するなら一度谷を下らなくてはなりません。そして蜂ポイントを越えて、再び稜線上に戻れば何とかなりそうです。では、左右どちらがいいのか。地形図を見ると、右の方(北側)が傾斜が緩やかそうだ。よしっ、右側から大きく迂回すれば、何とか、あの蜂ポイントの向こう側に出られそうだ。

そうと決まれば、早速行動です。ここからはストックを使います。

まず、稜線の北側を進んでみます。少し進むと、う〜ん、倒木やヤブでこれ以上進むのは無理だ〜。というわけで、も一度稜線に戻って、今度は左側(南側)を下ります。

こちら側は斜面こそ急ですが、緑林地で手入れもよく行き届いているので、歩きやすいです。

よし、登山道に戻った。蜂ポイントを大きく越えたと思っていたけど、実際には5〜6メートル程度越えただけだった。なので、慌てて蜂ポイントから離れた。

登山道は90度右に曲がります。ここから山頂までは・・・

・・・まっすぐ直登です。

よし、登りきった!

【11:01】富士居山山頂

富士居山山頂です。山頂標はここより西にある丹沢前衛の高取山や仏果山と同じデザインのものです。

次に向かう、向山まではあと2kmで、その後の大峰までは2.9km。

山頂には三角点がありました。

祠もあります。山の神?

富士居山山頂を後にして、今日の3つの山の最高峰の向山(むこうやま)に向かいます。ここからしばらくは、広い尾根上のルートでとても歩きやすいです。

近日公開予定の後編に続きます。

 
 
 

参考地図

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