特別意識しているわけではないが、最近キリストに関係する小説ばかり読んでいるような気がする。
9月24日、青森県新郷村にある「キリストの墓」と言われる場所に行ってきたのだ。別件で青森に用事があってそこから車で1時間程度で行けるということだったので、夕方の時間が空いたときに行ってみた。この「キリストの墓」に関する本は20年ほど前に数冊読んだことがあってその存在は知っていたがずっと行く機会に恵まれずにいて、今回やっと行くことが出来た。
五戸から西に県道454号線を進み新郷村に入ってしばらくすると突然左写真のような標識があり、ここを右折するとすぐが駐車場になっている。(この標識では直進すると「ピラミッド」(!?)と書いてあるが、今回は時間の関係で行けませんでした・・・残念!)ここに車を止めて、道路脇のなだらかな坂を上ること数分で平らなところに出る。
そこに左写真の看板がある。この看板の左手に小さな丘の上に続く階段がありそこを上ると頂上部が平らになっている場所に着く、ここの左右に直径数メール程の盛り土をしたところがキリストと弟イスキリの墓である
右側がキリストの墓。
右側がキリストの墓。
再びこの丘を降りると正面にこの村の旧家である沢口家のお墓が並んでいる。右手に行くと「伝承館」と呼ばれる資料館がある。中は「キリストの墓」の資料というよりこの地域の古民具などが並べられている。もちろんこの話の大元の「竹内文書」関係の資料も一番奥まったところにひっそりと置いてあった。
なんでこんなところに「キリストの墓」が?って思われる方も多いでしょうが、簡単に説明すると、ゴルゴダの丘で処刑されたのは弟イスキリでキリストはその難を逃れて日本に逃げてきていたという事です。その事実(?)は「竹内文書」(竹内家に伝わる古文書)に書いてあり、当時(昭和10年)その竹内家の当主だった「竹内巨麿」が突然この村を訪れて「ここがキリストの墓だ!」と言ったことが発端になりここが「キリストの墓」と呼ばれるようになったということです。
ここでは「竹内文書」に関して詳しく言及しません。興味のあるかたは調べてみてはどうでしょう・・・。