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うどんマニアとしては、鍋割山の鍋焼きうどんは無視できない存在だった。当初の予定では3月中には行く予定だったが、結局ずれにずれて6月になってしまった・・・。少々時期外れという気もしないでなはないが、日によってはまだまだ肌寒い日もあるので大丈夫だろう。幸いにもこの日は家を出るときは思いっきり雨が降っていた。山頂は冷え込むだろうと思いながら登り始めた・・・。
山行データ
山行日 | 2006年06月03日(土) | ||
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コース | (スタート)表丹沢県民の森の駐車場~二俣~小丸尾根~鍋割山稜二俣分岐~小丸~鍋割山~後沢乗越~二俣~表丹沢県民の森の駐車場(ゴール) | ||
山 名 | 鍋割山(1272m) | タ グ | |
山 域 | 丹沢エリア | 累積標高 | (+)1,125m |
歩行距離 | 12.254km | 所要時間 | 05時間37分 |
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山行記
【08時46分】 | 表丹沢県民の森の駐車場に車を停める。予本当はあと1時間は早く着くはずだったが、2度寝してしまい少し遅くなってしまった。予定では5時半には起きて6時には家を出ようと思っていたが、実際は5時に目が覚めて外の様子を見て雨が降っていない事を確認して、再び寝てしまい次に起きた時には6時半になっていて、雨も降り出したし、どうしようかっな??? とかグダグダやっていて結局家を出たのは7時を過ぎてしまった。家を出るときはそれなりに雨が降っていたが、とりあえず行ける所までは行こうと思い車を走らせた。秦野市内に入った頃にはすっかり雨も上がり、というかこっちの方は路面も濡れていないでの恐らく雨自体降っていなかったようだ。
出発が遅れたせいで駐車場が空いているか心配だったが、自分が着いた時にはまだ2台分の駐車スペースが空いていた。この辺までは車で来る人も少ないのだろうか? でも、林道で一台のタクシーとすれ違ったので、みんなタクシーで来ているのかな? もっとも、車で来るなら西山林道を二俣まで入ってしまった方がいいのかも知れない。公共交通使用の人は大倉あたりからスタートするか、タクシーでここまでくるかだ。でもここまでタクシーだと結構高そうだが・・・。 |
【08時47分】 | 駐車場を出て、左に進むとすぐにゲートがある。 |
【08時48分】 | ゲートには「鍋割山近道(二俣経由)」と書かれている。 |
【08時48分】 | ゲートをくぐってすぐの左側に分岐点がある。県民の森なのでコースがたくさんあるようだ。 |
【08時55分】 | 再び分岐点。 |
【08時56分】 | まっすぐのルート。(二俣方面) |
【08時56分】 | 左に曲がるルート。(栗ノ木洞方面) |
【08時56分】 | そして、まっすぐと左の真ん中にもコースがある。
今回は二俣経由なので、2つ上の写真のルートを進む。 |
【08時59分】 | 勘七橋を渡る。 |
【08時59分】 | 勘七橋を渡ってすぐ左側に「平成の森」と書かれた石碑があり、奥に続く踏み後もあった。どこに行くんだろう? |
【09時01分】 | 勘七橋を渡り大きく右に折れて進むと、西山林道に通じるゲートがある。 |
【09時01分】 | 西山林道に出た。ここを右に行くと大倉方面で、左に進むと二俣に向かう。正面にもゲートがあるが、この先はわかりません。 |
【09時05分】 | 2つ上の写真のゲートが見えたあたりで2~30人くらいのグループが上がって行くのが見えたが、ゲートをくぐるとすでに見えなくなっていた。 |
【09時06分】 | 表丹沢県民の森からおよそ20分で二俣に着いた。車で来られるのもここまでだ。 |
【09時08分】 | 二俣の分岐点と登山ポスト。左奥に進むと塔ノ岳に行く。今回は鍋割山方面なので直進する。 |
【09時09分】 | 直進すると沢に遮られるが・・・ |
【09時10分】 | ・・・少し上流にある木橋を渡る。 |
【09時12分】 | 木橋を渡って車止めのロープを越えるとすぐ右側に小丸尾根方面の分岐がある。 |
【09時12分】 | ここを右手前方向に上っていく。 |
【09時16分】 | 緩やかに尾根に向かう。 |
【09時23分】 | 人工なのか自然なのかよく分からない階段。(実際には手が加えられている模様) |
【09時26分】 | ガスが出てきた。 |
【09時33分】 | 倒木をくぐる。 |
【09時41分】 | 幻想的な緑。 |
【09時52分】 | 広い尾根を進む。始めは緩やかだったが、段々斜面がきつくなって来る。 |
【09時59分】 | ボーッと歩いていたら見逃してしまいそうな鉄で出来た小さな鳥居があった。始めは指導標の木の部分が落ちて枠だけが残ったものかと思っていたが、よく見たら前にお賽銭が置いてあるので鳥居だと思った。なんでこんなところに??? |
【10時00分】 | 尾根の上を進む。 |
【10時10分】 | 木の根がいっぱいだ。 |
【10時13分】 | お~、幻想的になってきた・・・。 |
【10時24分】 | 視界はまだ100メートルはある。踏み跡もしっかり付いているので迷うことはないだろう。。。 |
【10時33分】 | ガスで周りが好く見えないので始めは気が付かなかったが、よくよく見ると結構な細尾根だった。 |
【10時37分】 | まるで迷路のようなルート。 |
【10時44分】 | 湿度が高いためなのか、蜘蛛の巣がみんな白くなっている。そのおかげで気付かずに「おわっ」っていうことがないので助かる。 |
【10時44分】 | 木の回廊を進む。視界は良くも悪くもならない。 |
【10時47分】 | 営林署の標識。1000mと読めるが何のことだか分からない。 |
【11時13分】 | この辺で鍋割山とほぼ同じ高さの標高1270m位になっているはずだが、何も見えない。本来ならば秦野方向が好く見えると思うのだが・・・。
それはそうと先ほどからかなりの急斜面をジグザグに上っているのだが、あとどのくらいで鍋割山稜に出るのか分からない。地形図で自分の位置を調べようにも周りが見えないので、登ってきたルートから推測するのだが、これもよく分からない。そのせいかこの尾根(小丸尾根)に取り付いて3~4時間は経っているんじゃないかという錯覚に陥る。実際はまだ2時間程なのだが、取りあえずの目標としていた鍋割山稜までの距離が分からないので段々不安になってきた。 |
【11時19分】 | う~む、なんかホラー映画のワンシーンのようだ。 |
【11時21分】 | やっと鍋割山稜に出た。二俣から約2時間10分でした。ここでやっと地図上の位置が確認出来たのでちょっとホッとする。 |
【11時21分】 | 鍋割山稜の分岐点。県民の森から約2時間30分。気分的にはもっとかかったように感じた。 |
【11時22分】 | 分岐点を左に曲がる。尾根も広くてしっかりとしたコースなので歩きやすい。 |
【11時24分】 | 鍋割山稜に出てすぐに視界が50mくらいになってきた。このままどんどん視界が悪くなっていくのだろうか??? |
【11時25分】 | 視界が悪くてもコースが好いのであまり不安感は無い。 |
【11時28分】 | 小丸。現場では気が付かなかったが、家に帰ってきて写真を見たら、ここが小丸だと気付いた。落ちている指導標の方に書かれていたのだ。 |
【11時32分】 | せっかく登ったのに再び標高を下げる。前方には夫婦と思われるハイカーがいた。 |
【11時36分】 | 下ったら次は登りだ。結構急だけど距離が短いので「えいっ」と登ってしまう。 |
【11時44分】 | ガスが少し晴れ、太陽が出てきた。展望は全く無いが、日が出ると気持ちよくなり思わず走り出したくなってしまった。 |
【11時45分】 | 太陽はすぐに隠れてしまったが、視界は少し良くなった。 |
【11時46分】 | 小丸尾根との分岐点からおよそ25分で鍋割山山頂到着。ここは以外にすぐだった。 |
【11時46分】 | 鍋割山荘。頂上には2~30人くらいの人がいた。結構来ているな。と思いつつ今日の目的の「鍋焼きうどん」を食べるのに山荘に入る。山荘の中には5~6人ほど人がいて、そのほとんどが「鍋焼きうどん」を食べているか。待っている人たちだ。
自分も早速カウンター(のようなところ)に行って注文する。紙に名前と注文数を記入して注文するのだ。テーブルは一段高くなっていてほり炬燵のようになっているので、登山靴を脱いで出来るのを待つ。自分の前に2~3人くらい待っている人がいるようなので少しは待たされるのかなと思ったけど、5分もしないうちに名前が呼ばれた。注文の品と引き替えにお会計する。(¥980 2006年6月3日現在) |
【11時57分】 | 名物!鍋焼きうどん
出来上がった鍋焼きうどんを自分のテーブルに持ってきて食べる。。。その前に記念写真をパチリ。 思ったよりも具がたくさん入っていてボリュームもある。すぐに出来た割にはしっかりと味も染み込んでいて美味しい。気温もあまり高くなかったので身体が暖まる。 |
【12時16分】 | 食事も終わって山頂をブラブラする。
ふと、まだ山頂標を撮影していない事に気付いて周りを見渡すもそれらしきものが無い。仕方無いので唯一山頂名が書いてあった指導標(左写真)を撮影。ほんとうは他にちゃんとした山頂標があるかも知れないけど、この日はガスも濃かったし見つけられなかった。 |
【12時21分】 | 山頂で30分ほどの休憩を取り下山を開始する。またガスが濃くなってきた。 |
【12時57分】 | 山頂から30分程下った所。展望も無く、ただひたすら下る。
今日は久しぶりに膝が痛くなっていない。スクワットとグルコサミンの摂取のおかげだろうか? もっとも今日は距離が短いので、何とも言えないなぁ・・・。もし、次も膝が痛くなっていなかったら恐らく何らかの対策が上手くいったということだろう。 |
【13時00分】 | 兎にも角にも膝が痛くならなかったおけげで気持ちよく下る事が出来た。 |
【13時01分】 | あれ? ガスが消えた。上の写真からわずか1分程下っただけなのに・・・。ちょうどガス帯から抜けたってことでしょうか?
後で気が付いたことだけど、このとき後ろを振り返って見ればよかった・・・。 |
【13時10分】 | 木の梯子。 |
【13時13分】 | 後沢乗越に付いた。この直前に何かの調査員のような人たちとすれ違った。 |
【13時13分】 | 後沢乗越。栗ノ木洞まで1km。いつもの自分なら時間も早いし栗ノ木洞経由で県民の森に戻るのだが、この日はこの後用事があったので、ここから二俣方向に下る。 |
【13時13分】 | 栗ノ木洞方面を見ると崩落したためだろうか? 尾根が細くなっている。 |
【13時14分】 | 鍋割山から下りてくると左手前に戻るように下って行く。 |
【13時14分】 | 下り始めてしばらくは、ゆりやかな道を・・・ |
【13時15分】 | ・・・ジグザグ進む。 |
【13時17分】 | 木の橋を渡る。この橋おいらの体重のせいだろうか? 少しプヨンプヨンしている。 |
【13時20分】 | 涸れた沢を渡る。上部では水の音がしている。よく見ると上の方では水が流れていた。しかし、すぐに地面に吸収されてしまい、ルート上では水はない。もう少し下流に行くとまた地表に出てくるのかもしれない。 |
【13時20分】 | この辺は水がない。 |
【13時21分】 | 沢を渡って尾根の中腹をトラバースする。 |
【13時22分】 | 尾根の向こう側に出たらジグザグと下る。 |
【13時36分】 | しばらく進むと沢に出る。 |
【13時36分】 | その沢の対岸に小さな滝(落差6~8メートルくらい?)があった。
ここで顔を洗う。少し冷たくて気持ちが良い。でも、ズボンはびしょびしょだ。 |
【13時38分】 | 沢沿いを少し下って、ここを渡渉する。 |
【13時39分】 | 奥の方にある木橋を渡ると・・・ |
【13時40分】 | ・・・西山林道終点に出る。 |
【13時40分】 | ここに沢山のペットボトルが置いてある。これが噂の鍋割山荘のペットボトルだ。有志の方たちが山荘まで担ぎ上げるのだ。自分もこれを楽しみにしていたのだが、コースがまずかった。正直このペットボトルがどこに置いてあるのか知らなかった。というより、何の根拠も無いのだが勝手に二俣あたりにあるのだろう、と思っていた。なので、このペットボトル運びを行いたい場合は二俣から小丸尾根に入らずまっすぐ西山林道の終点まで来る必要があるのだ。 |
【13時41分】 | 下記参照。 |
鍋割山荘で使用する水道水です。!
このペットボトルは、鍋割山荘が用意した水道水です。ボランティアで運んでいたたく為に置いてあります。
鍋割山荘経由の方で、体力に余裕のある人、ボランティア精神旺盛なる方は、御協力お願い致します。
この水は鍋割山荘で使う大切な滅菌させた水道水です。鍋割山荘は水場がないので、すべて運び上げています。
沢の水は鍋割山荘では使いません!沢の水は衛生上不適当なので、飲料用水には使用しません。
【13時41分】 | 林道終点にここに車が? 車止めのロープがあるので入れないハズだが・・・。恐らく山荘関係者の車だろうか??? |
【13時43分】 | 木が倒れていた。根の高さはゆうに2メートルは越えてそうだ。 |
【13時45分】 | 再び丸太の上を渡る。夏ならそのままジャブジャブ進んでも気持ちよさそうだ。 |
【13時48分】 | 沢の対岸の斜面をなにげに見ていたら、、、あっ! 鹿だ!
どこにいるか分かります? |
【13時49分】 | 緑のトンネル。 |
【13時58分】 | 小丸尾根分岐点。左奥に登っていきます。 |
【14時01分】 | またまた沢を渡る。ここは木の橋が架かっているので楽に渡れる。写真は木の橋を渡った所から下流方向を見た所。 |
【14時01分】 | 普通の人はココまでしか車は入れない。 |
【14時05分】 | 尾関廣先生の銅像。 |
【14時05分】 | 以下参照。 |
尾関廣先生之事蹟
1895年愛知県に生まれ、13才より登山をはじめ、その足跡は国内はもとより海外に及ぶ。1940年正しい登山を普及し、その発展を願い全国の登山団体に呼びかけて組織化を図る。同55年全日本山岳連盟を結成後会長となり(社)日本山岳協会に発展させた。また地元神奈川県山岳連盟会長として、自然保護のため丹沢国定公園化運動にまた大自然を道場に青少年育成と遭難防止のため、県立登山訓練所の設立に尽力した先ショウ者に感謝する全国からの献金により、これを建立す。
1970年5月 建設世話人
旧全日本山岳連盟有志
彫刻者 新関国臣
【14時06分】 | ふと、銅像の前から右方向に目をやると大きな建物があった。自分が今来た方向だ。それらしい入口も無かったよなぁ・・・。 |
【14時08分】 | 上秦野林道の分岐点。ここを右手前方向に入っていく。 |
【14時08分】 | 上秦野林道ゲート。 |
【14時13分】 | ちょっと登ると、分岐点があり・・・ |
【14時21分】 | ・・・少し進んで、ゲートがある。 |
【14時22分】 | ゲートを潜って少し進むと・・・ |
【14時22分】 | ・・・右側に県民の森駐車場がある。
ゴーーーールです。お疲れ様でした。 |