【雑記】山の中の地形図制作の現場を生で体験したお話《準備編》

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僕は以前、半年間ほどですが、山岳地帯の地形図を作るお手伝いをしたことがあります。山登りをしている方なら、地形図といったらすぐにピンと来ると思います。一般の人でも知っている人は知っているでしょう。知らない人のために簡単に説明すると、凸凹の地形を平面上で表現した地図、と言うことが出来ます。でも、これだと分かりづらいですので、下記の画像【出典:国土地理院ウェブサイト(https://maps.gsi.go.jp/#17/35.416697/138.524637/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1)】を見てください。恐らく大抵の人が見たことがあるでしょう。ん? 朝や夕方のTVで見たことがあるぞ、と思った人もいると思います。そうです。ある意味、天気図も同じ仲間だと思います。地形図は地面の高低を波々の線で表現しているのに対して、天気図の場合は気圧の高低を波々の線が表現しています。

国土地理院が発行している地形図

この手の図面は、見慣れないとどこが高くて、どこが低いのかは分からないんですが、線や記号の意味を知って、少しのトレーニングをすれば、平面の図面の上に凸凹の地面が立体で見えるようになります。

この地形図は日本全土を網羅しています。地形図には複数の縮尺があり、日本全土を網羅している最も詳細なのが2万5千分の1の縮尺です。人口の多い場所は500分の1とか5000分の1なんてものもあります。逆に、北海道のなだらかな原野でほとんど人が住んでいないようなところは、需要が少ないためか、あまり詳細な図面はありません。そんなところでも最も詳細なのが、2万5千分の1の縮尺というわけです。なので、僕ら登山をする人が通常携帯しているのが、この2万5千分の1の地形図です。大縦走するときなんかは5万分の1の地形図を使うこともあるようです。

僕たち山好きが、山に入る時は、大抵この地形図、またはそれをベースとして作成された山用の地図(山と高原地図など)を携帯します。一般登山道を歩く場合は国土地理院発行の地形図を地形図として使うより、山と高原地図をルートマップ的に使うことが多いですが、バリエーションルートや不明瞭なルート、または山と高原地図が網羅していない山域を歩く場合は、国土地理院発行の地形図を携帯することが多いです。最近ではスマホでも見られますよね。

また、地形図を作ると聞いて、映画『剱岳 点の記』を思い浮かべる方も多いと思います。今回僕が紹介するのは、まさにアレの現代版です。道なき道を重い機材を担いで上げて、地形図を作るお手伝いをしました。その体験を書いています。ただし、僕自身は測量は素人ですし、すでに10年以上も経っているので、記憶違いや勘違いもあると思うので、そこのところはご了承ください。

そして、最後にこのお仕事を通してその後の僕の山登りにどんな影響があったのかを書きたいと思っています。長くなると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

いなかた

以下の記事の中で何度か、映画『剱岳 点の記』のお話が出てきます。あちらも山岳地帯の測量のお話です。しかし、僕の文字だけの説明ではイメージしにくいと思うので、少しでもイメージ出来るようにと例として上げさせていただいています。
実際には映画の中の測量と、今回の測量では目的も最終的な成果物も違うと思います。なのであくまでイメージです。ご了承ください。
また、もしまだこの映画を観たことが無いと言う山人がいたら、一度は観ることをお勧めします。きっと、三角点が愛おしくなるでしょうwww

目次

始まり

2010年の夏、僕はプータローでした。毎日のようにハローワークに通い、お仕事を探していました。その時、目に止まったのがこのお仕事です。詳しい内容は分かりませんでしたが、山の中で測量をするということはなんとなく理解出来て、その頃はすでに山登りをしていたので、山の中のお仕事なら楽しそうだな〜。と思い。しかも、山登りをする前から地図は好きだったこともあり、とりあえず、応募してみるかと軽い気持ちで応募してみました。

まずは電話で問い合わせました。特に面接のようなものも無く、8月20日に山に登れる格好をして、会社(八王子)に来てくれと言われただけで、なんか怪しいなぁ〜、と思いつつ、他にお仕事があるわけでもないし、お金をもらって山登りが出来るのなら、と指定された日に会社に行きました。

これが全ての始まりです。この経験が、この後の僕の山登り人生にかなりの影響を及ぼすことになるとは、僕自身、この時は知る由もありませんでした。

測量の目的

まずは今回の測量の目的を簡単に書きます。詳細に書き始めると、それだけで記事数本分は行くので、簡単に書きます。

今回の目的は、戦国時代後半から江戸時代前半にかけて、金の採掘が行われていたという遺跡の測量、調査です。

日本における金の採掘と言うと、佐渡ヶ島や伊豆の土肥にある金山遺跡が有名ですね。これらの遺跡は、すでに金の採掘方法が確率された後の遺跡なので、かなりシステマチックに採掘が行われていたようです。しかし、今回測量する遺跡は、日本における初期の金の採掘遺跡です。しかも、そこの場所は、山の中腹にあるのですが、登山道やバリエーションルートからも離れた位置にあるので、その場所を知っている人はほとんどいません。当時から10年(今からなら20年)ほど前に一度学術調査が入っていて、その時に作られた簡単な手書きの地形図と、昔からその地域に残っている伝承があるだけでした。その時は数日間の調査だったようで、簡単な地形図が作られただけで、僕らはそれを手がかりに、詳細な地形図(500分の1)を作ります。

詳細な地形図を作るのがメインのお仕事ですが、その他に、そもそも、この遺跡の全体像がはっきりしていないので、山中を這いずり回って全体像の確認、もちろん、遺跡なので遺物がそこら中に転がっているので、それらの確認も測量の間に行いました。

また、金の採掘跡と言いましたが、実は肝心の金の採掘場所が見つかっていませんでした。金を含有している石をすり潰す石臼は無数に転がっているので、ここで金の採掘をしていたのは間違いありません。まさか、金の含まれた石を麓から山の中腹まで持ち上げて、ここで精製していたとは考えにくいです。なので、この近くに採掘跡があるのは間違いないのですが、伝承こそ残っているものの、実際にどこで金の採掘が行われていたのかは分かっていません。なので、この採掘跡を見つけるのもお仕事のひとつでした。

しかし、今回は地形図を作るお話なので、遺跡のお話は控えさせて頂きます。そもそも、そっちの方はあまり詳しいことはブログに書くなっ! って釘を刺されているので・・・。

ちなみに金の採掘跡は見つかりました。試し掘りも含めると、結構あちこちで地面をほじくっていたようです。この辺のお話も詳しく書きたい(かなりドラマチックなので)ですが、いずれ書ける時が来るでしょうか?

初出社

さて、ここから本題に入ります。測量をするためには(当たり前ですが)測量したい場所に行く必要があります。詳しい場所は大人の事情で伏せておきますが(このブログの古い記事を見れば分かります)、現場は富士山が正面にドドーンと見える山の中腹にあります。と言っても、そこは一般登山道、バリエーションルートからはかなり離れているので、たとえ場所を知っていても、近づくのは容易ではありません。そもそも、登山者が誤っても辿り着けるような場所ではありません。実際に測量調査をしていた約半年間で山中で出会った登山者はゼロです。熊は2度目撃されていますが・・・。

まぁ、場所が場所なので、一般の人は近づくことはできません。なので、今まで詳しい調査がされてこなかったってことですね。

そんな場所なので、まず、現場に行くのは容易ではありません。僕自身は神奈川県に住んでいますが、会社は八王子(東京都)にあります。そして、測量現場は山梨県の某所にあります。バス、電車、車、徒歩をフル活用して、家を出てから、測量現場までは4時間〜6時間くらい掛かります。時間に幅があるのは、徒歩の部分が、山に慣れてくるに従って短くなったためです。

初日、自宅からバス、電車と乗り継いで会社に到着、そこから社用車に乗り換えて測量現場に向かいます。僕は流れる車窓を眺めながら、一体どこに連れて行かれるんだろう、と思っていました。初日なので、周りは知らない人ばかりです。どちらかと言うと、コミュニケーション能力は低い方ではないと思います。しかし、これからどんなことをするのか、確かに山登りは好きだが、そこでお仕事をするというのはどんな感じなのか? そもそも、僕の体力で足手まといにはならないのだろうか? など、不安で普段よりかなり口数が少なくなっていました。

しかし、これから好きな山登りが出来ると思うと、ワクワクする気持ちもありました。いや、遺跡の調査ということも聞いていたので、不安よりもワクワクの方が勝っていたかもしれません。

高速道路を降りて、1時間ほど一般道を走り、やがてポツポツと温泉宿が立ち並ぶ細い道に入っていきます。温泉宿を過ぎて、さらに山に入っていき、道はさらに細くなってきました。最後の民家を過ぎて5分くらい過ぎた頃、少し広くなった林道の脇に車は止まりました。

「ふぅ〜、やっと着いたのか?」

車を降りる。季節はまだ夏の真っ盛り(8月9日)なので、多少標高が高くても、暑い。じわりと汗が滲む。

荷上げ

着いたとばかり思っていた場所は、まだ登山口に立っただけでした。ここからが本格的な登山、いや、お仕事になります。山好きの人に分かるように例えると、奥穂高岳に登るのに、やっと涸沢に着いたって言えば分かってもらえるかな? 


街の中で測量をしている人を見たことがある人は多いでしょう。よく、街角で黄色い三脚を立てて、その上に乗っているこれまた黄色い機械を覗いている姿を見たことがあると思います。それ以外では、映画『剱岳 点の記』で、測量士たちが重そうな荷物を担いでいるのを見たことがあるでしょう。伊能忠敬だって、日本の沿岸を測量した時は当時最先端の測量道具を担いでいました。まぁ、実際に担いでいたのは人夫だと思いますが・・・。そうです。測量には測量するための機械(道具)が必要です。しかも、これらはとっても重いです。

補足

ちょっと脱線して、再び、映画『剱岳 点の記』の話になりますが、測量士とは別に日雇いの人夫たちが、長い丸太を担いでいたのを覚えていますか? あれで遠くから測量するためのヤグラを立てていましたよね。恐らく、あのヤグラの真下には三角点(または、それに準ずるもの)が埋設されていると思います。山登りをしている方ならお馴染みの三角点ですね。よく、登頂の明かしにタッチしている人もいますよね。まぁ、手で軽く触る程度なら問題無いと思いますが、間違えても、つま先で蹴飛ばしたり、ストックで小突いたりしてはいけません。とはいうもの地表に出ているのはほんの一部で、あの見えている部分の何倍もの長さが地中に埋まっていて、そう簡単には動かないようになっているんですが・・・。今回の測量調査でも、そのようなものをいくつか埋設しました。

また、バリエーションルートなどを歩いているときに、稜線上にプラスチック製や木製の杭がある程度の距離をおいて並んでいるのを見たことがあるでしょう。恐らく、あれは測量に使われたものだと思います。我々はそれを『杭』と呼んでいたので、ここでも『杭』と表記します(後半では『基準点』と表記していますが、ここでは同義語とさせてください。どちらも地球上のある一点を指し示すものという意味で使っています)。まぁ、三角点も『杭』の一種ですね。三角点は通常コンクリート製ですが(昔は石製?)、それ以外に木製、プラスチック製、金属製などがあり、目的や場所によって使い分けていたようです。そして、測量をするためにはそれらを無数に埋設する必要があります。コンクリート製(写真参照)はそう簡単には動かない反面、埋設に厳格なルールがあるようで、1本埋設するのに、地面を深く掘ったり、その底に石を敷き詰めたり、設置にかなりの時間が掛かります。それに、かなり重いです。なので、コンクリート製の杭は、メインの数カ所に使って、後は主に木製のものを使用しました。

以上をふまえて、まず、最初のお仕事はこれら(測量機器や多数の杭)を現場まで担ぎ上げなくてはなりません。例えると、自転車を上高地から、岳沢、重太郎新道を経て、前穂の山頂まで担ぎ上げるようなものです。

まぁ、中には、何だ、そんなの朝飯前じゃん! って思う人もいるでしょう。そういう超人ハルクのような人間は放っておいて、話を進めます。

まず、重いものとしては、測量機器本体(トータルステーションと言います。詳細は後ほど)。これは、重い上に、超スーパー精密機器なので、適当に扱うわけにはいきません。気を使います。そしてその超スーパー精密機器を支える三脚もそれなりに重いです。そして大きいです。しかし、こんなものはまだマシです。一番重いのは、コンクリート製の杭です。一本の重さは聞いたはずですが、忘れました。しかし、ひとりで2本担ぐのが限界です。しかも、ひとりが長い距離を運ぶのは無理なので、ローテーションを組んで運んでいました。

話は前後しますが、初日に上記の荷物を手分けして運ぶんですが、一日では現場に着くことは出来ませんでした。途中で、荷物をデポして、初日は終了です。2日目はデポしたところから、再び重い荷物を担いで、測量現場を目指します。しかし、2日目も測量現場には辿り着けませんでした。荷物が重い上、まだルートに慣れていないので時間が掛かります。しかも、山登りの経験が無い人もいます。そういう人は1日目で脱落していきました。山登り経験者の僕から見て、2日目までのルートは、まぁ、一部で不明瞭で岩がゴロゴロしている所もあるものの、それほどキツいルートではなく、これなら、毎日通うのも不可能じゃ無いなと思い始めた3日目・・・。2日目までに運んでおいたデポ地を後にした直後・・・それは目の前に現れました。最初は小さな尾根を登り、隣の尾根に移るのに一度谷に降ります。この谷はそれほど深さはなく、最大でも高さ5メートル程度です。しかし、この谷を越えたところにその尾根はありました。全ルート中でももっとも急な斜面のひとつです。急と言っても、日本三大急登なんて思い浮かべてはいけません。そもそも、整備などはされていません。場所によっては、真っ直ぐ2本の足で立つのが困難な場所もあります。いや、ほとんどの場所は2本の足だけで立つのは不可能なので、手を使います。しかも、重い荷物を担いでいるので、普通に立っていると、そのまま後ろに倒れそうなので、常に前屈みになっている必要があります。場所によっては這っています。そんな状態の中、手で木の枝や根、大岩などを掴みながら自分の身体を引き上げていきます。思わず、

「オイオイ、マジか!?」

と呟いてしまいました。

その尾根の斜度はますます増していき、やがて、木にぶら下がるようにして自分の身体を引き上げて登っていきます。小一時間、そんな斜面を攀じ登っていくと、小さな平らな場所に出ます。よく見るとそれは細長く左右に伸びています。道です。こんな山奥に水平な道があります。幅は1メートル弱程度でしょうか。はっきりと道と分かります。我々はそこを『水平の道』と呼んでいました。そこを左に行くと、数メートル先で道が途切れてしまいます。恐らく遺跡があった頃はもっと先に進めたのだと思いますが、今は崖崩れで先に進めません。では、反対の右(遺跡はこっちにあります)に進むと、一部は埋まってしまっているところ、亀裂で途切れたところもありますが、なんとか進むことは出来ます。後日、危険な場所には虎ロープを張って安全を確保しました。

しばらく水平の道を進むと、遺跡の入り口(遺跡の端っこ)に到着します。ここまで来るのに3日掛かりました。しかし、特に何か人工物があるわけでは無いので、素人目にはそこが遺跡だとは分かりません。まぁ、遺跡の一端に立ったことは間違い無いのですが、我々がベースにしていた場所は、さらに急な尾根を攀じ登らなくてはなりません。左右に切れ落ちた、足元が滑りやすい細い尾根を20分ほど登ると、やがてテントが見えてきました。このテントは今回の本調査が始まる前に会社の人が来て張っていたようです。当初のお話ではこのテントに泊まり込んで、調査をするっていう話でしたが、熊の生息する山域なので、危険すぎるということで、これは中止になりました。なので、このテントは機材をデポしておくところになりました。

いなかた

現実問題として、毎日重い荷物を上げ下げするのは非効率的です。なので、重いトータルステーション、大きな三脚などはこのテントにデポしておきます。ただし、測量したデータは毎日会社に持って帰らなければならないので、トータルステーションにはデータを保存出来る端末(名称は分かりません)をつないで、それを毎日上げ下げしていました。また、トータルステーションは電子機器で電力の供給が必要です。なので、このバッテリーパックも毎日会社に持って帰り、夜中に充電して翌日再び現場まで担ぎ上げていました。

この後数日は、機材を運ぶだけの日々が続きます。歩荷さんになった気分です。

踏査

ある程度、測量を始めるのに必要な機材を上げ終わったら、今度は本格的な作業に入ります。

いなかた

ここからは、いくつかのグループに分かれて、それぞれに与えられた作業をします。なので、説明が前後することもあるのでご了承ください。また、僕のグループ以外の作業は僕自身実際には見てはいないので、聞いた話になります、これも併せてご了承ください。

まずは、10年ほど前に行われた学術調査の時に作られた、手書きの地図(地形図)を元に、全体を歩き回ります。それと同時に別のグループは何箇所かに基準点を埋設します。そして、最初の測量を行います。

最初は基準点の一点をGPSで測量して、この場所の地球上の位置を割り出します。僕はこの作業には関わっていなかったのですが、測量用のGPSの精度は1mm以下になると聞きました。しかし、それには半日以上の観測時間が必要なんだそうです。今は短くなっているのかな?

僕はそのGPS測量をしている間は、遺跡の中を歩き回って、全体像の確認、またはルートの確保をしていました。少なくても10年は人が来ていないので、場所によっては薮だらけになっていて、機材を持ったまま進めないところもあります。そこは持ってきていたナタやノコギリで切り払い、ルートを確保します、

そして、地図を確認しながら、そこに書かれたテラス群と実際の場所を特定していきます。

いなかた

ここで、実際の現場の地形について簡単に書いておきます。現場は尾根上を削って作られた段々畑のようになっています。その平なところをテラスと呼び、それぞれを区別するため、Rテラスとか、Sテラスのように名前がつけられています。しかし、当初はアルファベット26字で間に合っていたのですが、今回の調査で新しいテラスを大量に発見したせいで26字では足りなくなり、途中で名前のルールが微妙に変わったりもしました。
テラスは尾根上だけではなく、尾根の横にある谷川沿いにもあります。金を岩石から取り出すには水が必要なので、川の側にも作業場を作ったのだと思います。しかし、ここで金を採っていた時からおよそ200〜300年は経っているので、地形はかなり変わっていると思われます。

ということで、始めは一本の尾根上の段々畑のようなテラス群と川の側にあるいくつかのテラスが、ほぼ全てだと思われていました。しかし、測量、調査が進むうちに、実は当初思っていたより何倍も大きい遺跡だということが判明します。その辺の詳細は追々書いていきます。

選点

おおよそ、遺跡の全体像(後々、どんどん広くなっていくのですが)を理解したところで、やっと測量に入ります。厳密に言うと、測量するための準備が始まります。

すでにコンクリート杭を数カ所埋設(下の図1、図2、図3の赤い大きな丸)してます。その中の1箇所はGPSで正確な緯度経度が出ています。

そこがスタートになるわけですが、その前に大事な作業が残っています。再び、映画『剱岳 点の記』のお話で申し訳ないですが、あれでも、実際に測量をする前に『選点』と言って、山々を歩いて、三等、四等の三角点を設置していますよね。映画の演出上、一見すると剱岳への登り口を探してウロウロしているように見えますが、実は着々と測量の準備をしていたというわけですね。

いなかた

ここで、ひとつ、いや、ふたつ言い訳をしておきます。ひとつ目は、前述していますか、ここでもう一度念を押します。測量に関しては僕は全くの素人です。なので、間違いを書いている可能性は高いです。しかし、僕も地図や地形図には並々ならぬ興味があるので、作業中はプロの測量士さん達に色々と質問しています。測量士さんは僕のしつこい質問攻めに嫌な顔をせず、ものすごく丁寧に教えてくれたので、ただ言われた事をやっているのではなく、きちんと自分がやっている事の意味を理解しながら作業が出来ました。おかげで、単純に地形図の作り方が分かっただけではなく、僕自身の読図のレベルがかなり上がりました。そう意味ではとても貴重な体験が出来たと重います。しかも、お給料をもらいながら・・・。測量士さん、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
もうひとつの言い訳ですが、先程から映画『点の記』をちょいちょい登場させていますよね。しかし、厳密に言うと、映画の中の測量と僕らが行った測量を比較するのは無理があると思います。まぁ、時代が違うので当然機材は進化しています。昔は基準点間の距離を取得するの何度も計測して、その結果を計算して距離を取得しますが、今はレーザーを使いボタンひとつで距離、角度が得られます。細かい事を書くとキリが無いし、そもそも、僕自身専門家でもないので、詳細な説明はできません。なので、映画の例えはあくまで、イメージ画像的な意味合いで挙げていると思ってください。その方が、文章だけよりイメージしやすいと思います。ご了承ください。

本編に戻ります。

選点するにあたって、まずは、メインの尾根の最上部から最下部まで一本の線を引きます。一本と言っても、2点間を直前で結ぶという意味ではありません(図1参照)。この場合、最上部の基準点から最下部の基準点まで、定規で引いたような真っ直ぐな尾根で、かつ、最上部から最下部まで見通せる(最上部の基準点の真上に立って、最下部の基準点が見える)場合は一本の線で良いのかもしれませんが、実際の尾根はジグザグしていたり、曲がっていたりしますよね。そもそも、よっぽどの高所でもない限り、日本の山は樹林帯なので、山(樹林帯)の中で100メートル先が見通せるなんてほぼないですよね。では離れた2点間を結ぶにはどうすれば良いのか? 最上部の基準点をAとし、最下部の基準点をBとすると、直接この2点間を結べない場合は、その間にさらに補助点(ややこしくなるのですべて基準点と呼びます)を置いて行きます。その間の基準点(補助点)をa1、a2、a3とすると、順番にA→a1→a2→a3→Bと描いて、一本の(ジグザグの)線にしていきます(図2参照)。その間の基準点を置くルールとしては、尾根が曲がっている場合なその曲がり角におきます。その際、必ず、Aからa1が見える事、同じようにa1からa2が見える、a2からa3が見える、a3からBが見える必要があります。

上の図2のピンクの小さい点(a1、a2、a3)は木の杭です。

木の杭の上部には釘を打っています。測量する時は必ず点に対して行われるので、測量するときはこの釘の頭の中心を観測すます。

山の中でピンクテープが木に巻き付いていたり、ぶら下がっていたりするのを見たことがあると思います。あれは我々登山者目線で見ると、ルートの目印と考えますよね。しかし、山の中にいるのは登山者ばかりではなく、いろんな職業の人がいます。僕が山の中で会ったことがあるひとだけでも、林業の人、山菜採りの人(地元の人も含む)、釣り人、学者さん、山の中(登山道)を整備している人、不思議(?)な人、そして、測量士さん、と本当にたくさんの人が山を利用しています。そして、それぞれが、自分達の目的のために、目印を木に付けています。林業のように比較的分かりやすい目印の場合もあれば、登山ルートのために付けられた目印と区別のつかないものもあります。そのために間違った目印を辿ってしまい、遭難しそうになった、なんて経験は一度や二度はあるんじゃないでしょうか? 僕は何度もあります。なので、以前はその目的の違いによって色を変えようよ!(例えば、林業は黄、登山は赤、測量は紫みたいな)なんて議論もあったようですが、最近はそんな話は聞きませんね。

ちょっと脱線しましたが、基準点は地面に設置されているので、そのままでは、少しでも離れたら基準点の場所が分からなります。森の中で10メートル先に落ちている10円玉を認識出来るのはパタリロくらいでしょう。そのような時は、基準点の上部に目印を付けています。大概は遠くからでも見えるように近くの木の枝に結んでおきます。これで遠くからでも10円玉(基準点)がそこにあることを認識できるでしょう。

また、基本的に測量はライン状に行われるので、その目印は、ルートを表しているように見えます。ルートが不明瞭で、初めてのバリエーションルートなどを歩いて不安な時、この目印を見ると、あたかも虫が光に吸い寄せられてしまうがごとく、簡単に吸い寄せられてしまうでしょう。僕は何度吸い寄せられたことか・・・。

その目印が測量用なのかを見分ける方法として、絶対ではないけど、目印の下に測量用の杭が確認できれば、それは測量用の目印である可能性が高いです。なので、そのような場合はその目印を辿ってはいけません。もっとも、時間が経つと基準点は埋まってしまい、確認出来なくなる時もあるので要注意です。

長くなったので、2回に分けます。次回は《測量編》で、やっと実際に測量作業に入ります。

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