まだ自分が山登りを始めて間もない頃に一度登っている鐘ヶ嶽へ行って来ました。前回が2004年12月24日なので、約8年半前ってことですね。実は数年前から、もう一度行ってみたいな〜、と思いつつなかなか実現しませんでしたが、今回は私用により半日しか時間が取れなかったのが逆に幸いしてやっと登ることが出来ました。
山行データ
山行記録
【08時13分】
今日は午前中だけとはいえ、歩く距離も短く、それほど危険な箇所も無いので、遅めのスタートです。
車は広沢寺温泉の駐車場に駐めました。
【08時13分】
まずは、鐘ヶ嶽登山口に向かいます。
【08時13分】
よく考えてみると、広沢寺って行ったことないんだよな・・・。実は広沢寺ってただの地名でお寺なんて無いもんだと勝手に解釈していたけど、今、この写真を見て、広沢寺って実在するんだと気がついた。今度行ってみよう。ちなみに広沢寺と書いて「こうたくじ」と読みます。山を始めて間もない頃はずっと「ひろさわでら」と読んでいました。
【08時14分】
以前はこの近くにお城があったらしい・・・。
ここは広沢寺〈こうたくじ〉
足利上郡関本最乗寺の開山了庵慧明禅師が、この地に庵を営み露白庵と号したことに始まると伝えられており、住僧原佐禅師のとき露白庵を一寺とした。上杉定正は、禅師に深く帰依し寺を庇護した。広沢寺は、定正の菩提寺となり定正と鶴姫の墓が建てられている。
【08時17分】
登山口へ向かう途中に、古そうな石塔が並んでいた。
【08時18分】
階段を上がると熊野神社の文字が・・・。
【08時19分】
この辺りは「丹沢大山国定公園」。国定公園とは国が定めて、運営・管理は各都道府県に任せている公園のこと。主に景勝地に設定されています。近くでは「明治の森高尾国定公園」などがあります。また、近くの景勝地ということでは最近、世界文化遺産に登録された富士山や箱根もありますが、これらは国定公園より一段上の国立公園「富士箱根伊豆国立公園」となっています。この国立公園は国が指定して国が管理する公園です。山屋さんにお馴染みの北ルプスは「中部山岳国立公園」という国立公園になっています。これらは「自然公園法」という法律の元で管理運営されています。
なんてな事を勉強したな〜、と思いつつ登山口に向かう。
【08時19分】
ちょうど上の看板のが分岐になっていて、ここを左に入る。
【08時20分】
分岐の門にバス停がある。「かじかのさわ」って読むのかな???
【08時21分】
竹林を抜けて少し歩くと・・・
【08時23分】
・・・古そうな石碑がある。よく読めないけど、廣沢〜の文字が見れるので、以前はここも広沢寺の一部だったのかな???
【08時24分】
石碑から少し行くと左手前に戻るような道がある。
【08時24分】
折り返す所に鐘ヶ獄のバス停がある。それにしてもこの「かねがたけ」の「たけ」の漢字は「嶽」だったり「獄」だったりするのはなぜ? とりあえず看板や標識に書かれている場合はその表記に従います。そうじゃない場合は「鐘ヶ嶽」に統一します。
【08時24分】
付近の地図もある。
【08時25分】
左奥から来て、右奥に進みます。
【08時25分】
なんか興味深いことが書かれているのですが、周りの葉が鋭く尖っていて素手では簡単に全文を読むことができませんでした。今度は手袋を持っていってちゃんと読んできます。
【08時26分】
鐘ヶ嶽登山口へは十分な標識があるので、迷いません。
【08時29分】
登山口まであと30m。
【08時30分】
登山口到着。
【08時30分】
登山口を見上げる。
【08時30分】
下記参照。
鐘ヶ嶽〈かねがたけ〉と七沢浅間〈せんげん〉神社
鐘ヶ嶽(標高五六一米)の名は古くから知られ浅間山とも呼ばれています。昔、竜宮から上げた鐘をこの山に収めたという伝説や、戦国時代に上杉定正の居城となった七沢城への合図のために鐘が置かれたと言われています。
鐘ヶ嶽山頂付近には七沢浅間神社が建立されています。この神社の創建については明確ではないが、上杉定正が心からこの神社を崇拝し、社殿の造営を行いました。
祭神は、木花咲耶姫命〈このはなのさくやひめのみこと〉・大山祇命〈おおやまずみのみこと〉・誉田別命〈ほんだわけのみこと〉の三柱が祀られています。
七沢浅間神社は古来から、養蚕・子宝・安産の神として信仰されてきましたが、明治六年(一,八七三)この浅間神社に旧七沢村の鎮守社八幡宮と日枝神社を合祀して「七沢神社」と改め、「村社」となって現在に至っています。
平成十二年三月吉日厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会
【08時30分】
さぁ、ここからが山登りの始まりです。
【08時31分】
このコースはハイキングコースになっています。とは言うものの、8月に来るところじゃないような気もします。が、コースのほとんどが樹林帯なので、思ったよりも暑くはなく、気持ちのよい山歩きが出来ました。
【08時31分】
まずは、前回撮り損なった壹丁目(一丁目)の丁目石です。以前登ってずっと気になっていたのがコレです。この丁目石の写真が前回は飛び飛びになっていたのが、ずっと気になっていました。今回はそれを注意しながら登っています。ちなみに江戸時代の一丁目の距離は約110mです。なので、本来ならば110m毎に置かれているはずなのにココは結構いい加減だったりします。
【08時32分】
階段を少し登ると石塔と鳥居がある。
【08時32分】
浅間&#@)@*$・・・読めない。
【08時33分】
この辺の植林地はキレイに並べて植えられている。
【08時33分】
二丁目。
【08時34分】
りっぱな柵が出来ていた。えッ!行き止まり?・・
【08時35分】
・・・って思ったけど、ドアは手動で開閉出来る。
【08時35分】
電気柵!?
【08時35分】
なんか物々しい・・・。
【08時35分】
山頂まであと55分。
【08時36分】
三丁目。
【08時37分】
四丁目。
【08時37分】
四丁目の石像の台座の下にセミの抜け殻があった。
【08時40分】
六丁目・・・えっ!五丁目は??? あれだけ気をつけて見てたのになぁ〜。
【08時40分】
マムシグサ。
【08時41分】
七丁目。
【08時43分】
八丁目。
【08時44分】
九丁目。
【08時46分】
拾丁目。ここから上の石仏が無くなります。
【08時47分】
拾一丁目。
【08時48分】
拾二丁目。
ここを通りすぎてすぐ後に猿と遭遇。普段、猿は群れで行動していることが多いけど、この時の猿は一匹だけだった。始めは5〜6mくらい離れていたので、写真に収めようとカメラをズームしている最中に、2m位のところまで近づいて威嚇してきた。思わず走って逃げようかと思ったけど、ここは慌てずにゆっくりと下がって猿が消えるのを待ってびびりながら先を急いだ。
【08時50分】
拾三丁目。
【08時51分】
拾三丁目のちょうど向かい辺りに分岐点がある。鐘ヶ嶽山頂は稜線上を真っ直ぐですが、ここはちょっと寄り道していきます。
【08時52分】
これが上杉公内室。
【08時53分】
いくつかの石仏や・・・
【08時53分】
・・・石塔がある。
【08時55分】
その後ろの斜面をちょっと登ると、このような石積みが崩れた跡のようなものがある。
【08時55分】
なんとなく、人の手が加えられているような、自然石のような・・・。
【08時56分】
石積みが崩れたような跡の上はほぼ平らになっている。もし、ここに石室でもあれば、崩れてこのようになるんじゃなかろうか?å
【08時57分】
と、ここでそんなにノンビリも出来ないので、本線に戻る。本来ならば来た道を戻ればいいんだけど、面倒なので道の無い斜面を強引に登る。
【08時59分】
本線に戻った。
【09時00分】
拾四丁目。
【09時01分】
分岐。鐘ヶ嶽山頂まではあと1.2km。
【09時02分】
拾五丁目はちょっと豪華。
【09時02分】
神奈川は今後何年かかけて森を針広交混林にしていくらし。
【09時03分】
拾六丁目。
【09時05分】
拾七丁目。
【09時07分】
ちょっと開けた所に出たけど、ガスっていて展望イマイチ。
【09時08分】
ここからちょっと急になる。
【09時08分】
ボーっと歩いていたら見逃しそうな所に拾八丁目。
【09時09分】
拾九丁目。
【09時11分】
おっ! なんか見えてきた。
【09時11分】
なんだこの階段? 一番下の段で高さが150cm以上ありそう。登って登れない事もないけど、右側から回りこむと簡単に上部に行けるそうなので、回りこむ。
【09時12分】
回りこむ途中に二拾丁目がある、無理に階段を登っていたら見逃していたかもしれない・・・。
【09時12分】
階段の上部から先ほどまでいた下を見る。
【09時12分】
上の写真の所で180度振り向くと・・・なんかいた・・・。
【09時12分】
仏像???・・・だよね・・・。額に白毫(びゃくごう)があるし・・・。
【09時13分】
後ろには何も書かれていない。基本的にこの山の上にあるのは浅間神社。鳥居をくぐって登ってきた。丁目石にもよく見ると上部に富士山のマーク(無いものもある)と登山の文字がある・・・。なぜ? 仏像?
【09時13分】
この辺りにはこのような玉ねぎの皮を剥いたような岩がいたるところにあります。その形状から「玉ねぎ石」とか「ぼたん岩」等と呼ばれています。
【09時14分】
ここにも・・・。
【09時17分】
廿一丁目。以前来た時は「一」の所から折れていて「丁目」しか見えなかったけど、修復されていました。ちょうど「一」の所に白い線が入っていますが、これが修復された跡ですね。
【09時19分】
明るい所に出た。
【09時19分】
絶壁に建つ石碑。
【09時19分】
落ちたら痛そう・・・。
【09時19分】
伊勢原方面かな? このまま視線を右に移動させると大山が見えるハズだけど、今日はガスっていて何も見えなかった。
【09時20分】
上部に富士山のマークがあるから今までの石碑と同じ系統のものだと思うけど。
【09時20分】
廿二丁目。
【09時20分】
何かの石碑が建っていた跡だろうか?
【09時20分】
なんか植えられていた。
【09時21分】
「浅間山の覗き松 二代目」とある。まだ植えられて二ヶ月あまり、うまく着床されることを祈りましょう。
【09時22分】
山頂までまだ20分もある。ちょっとあるな・・・。
【09時22分】
しばらくは気持ちの良い尾根道を進む。
【09時23分】
廿三丁目。ちなみにこの「廿」という漢字。石碑に彫られているのはカタカナの「サ」の横に点が着いたような字(「サ、」)だけど、そのような字はPCには無いので「廿」に置き換えています。これで「ニジュウ」と読みます。イメージとしては「十」が横に二つ並んだ「十十」のイメージです。
【09時24分】
ずっとガスの中だった鐘ヶ嶽の山頂が見えた。
【09時24分】
きのこ。
【09時25分】
下から見るとツバが付いていた。
【09時27分】
まだまだ元気。8月の低山なのである程度の灼熱地獄を覚悟していたけど、都内のアスファルトの上に比べればまさに天国。
【09時28分】
ふと、振り返ると祭壇の様な石が・・・。あとで気付くことになるけど、実はこれが・・・。
【09時30分】
???・・・モグモグ・・・うっ! まじぃ〜・・・ペッペッ!
【09時32分】
廿五丁目。あれ? 廿四丁目は? 前回も廿四丁目を見逃している。無いのかな???
あっ! ふたつ上の写真ってもしかすると、廿四丁目の丁目石じゃないの???
【09時35分】
廿六丁目。
【09時35分】
階段出現。さりとてやることも無いので段数を数えてみる。
【09時37分】
廿七丁目。あとひとつ!
【09時37分】
うっ! 結構長い・・・。
【09時39分】
途中にベンチもある。
【09時41分】
廿八丁目?
【09時41分】
途中で折れているけど、なんとか廿八丁目が確認出来る。これが最後。
【09時42分】
終わりだと思ったらまだ続いていた・・・。
【09時42分】
登ってきた所を見下ろしてみる。
【09時43分】
石段の正面に大きな岩が・・・
【09時43分】
・・・そこまで行ってみると岩の左側を回りこむようななっていた。
【09時45分】
あとちょっと。
【09時46分】
途中の石碑。「天台宗 鐘掛山 尊?院 禅法寺跡」って読める。つまりここに昔お寺があったって事だね、そうすると下にあった仏像が不自然ではなくなる。
やっぱり、廃仏毀釈ですかね? よく仏像が破壊されなかったな・・・。
【09時46分】
そのお寺の跡も今ではすっかり植林地になっている。基石でも残っているかと思ったけど、それらしいものは見当たらず・・・。
【09時46分】
最後の歪んだ石段を登り切ると・・・
【09時47分】
・・・鳥居がある。着いたのか? と思ったけど、鳥居の奥を見るとまだ階段が続いていた。
【09時47分】
??? 台座の部分に何か書いてあるけど、達筆すぎて読めん!
裏を見ると昭和五年に千葉県の人が建てたようだけど・・・。当時だから人力でここまで上げたのか??? それとも近くに石切り場みたいなものがあるのか?
【09時49分】
鳥居をくぐって石段を登り切ると・・・浅間神社!!!
で、結局石段は375段ありました。ちなみに前回数えた時は358段でした。途中何箇所かどう数えていいかわからない所もあったので、大体360〜370段くらいってことでしょう・・・。
【09時50分】
ここは浅間神社。
ここは浅間神社〈せんげんじんじゃ〉
一般に浅間神社は、浅間社、又は仙元(浅間)大菩薩として呼称されていたが、七沢浅間信仰は養蚕・子宝・安産を祈願目的としている。別当禅法寺の僧による縁起書にも子宝・安産が示され、由来は孝元天皇時の創設で、後に上杉定正によって造営がなされたとしている。
【09時51分】
唯一の展望だけど、ガスっていてあまり良くない。
【09時51分】
あれ? 以前来た時は無かったような・・・。よく見ると「東京スカイツリー」の文字があるので、最近設置されたようだ。
【09時52分】
りっぱな彫刻がある。
ここの神社はまだまだ地元の人の信仰が厚いようだ、下から登ってきてそれをヒシヒシと感じた。
【09時52分】
で、鐘ヶ嶽山頂は神社の左側に回りこむようにして進む。
【09時53分】
神社の左にある尾根をちょっと登ると・・・
【09時54分】
・・・2分ほどで山頂に到着。以前には無かったテーブル&ベンチがあります。
【09時55分】
鐘ヶ嶽(561m)。
【09時56分】
ここは鐘ヶ嶽。
ここは鐘ヶ嶽〈かねがたけ〉
鐘ヶ嶽(標高561m)の名は古くから知られ浅間山(せんげんさん)とも呼ばれています。昔、竜宮から上げた鐘をこの山に収めたという伝説や、戦国時代に上杉定正の居城となった七沢城への合図のために鐘が置かれたと言われています。
【09時56分】
鐘ヶ嶽山頂名物の石像2体。
【09時56分】
ちっちゃい方は顔が無くなっています。
【09時56分】
おっきい方は顔が残っていますが、肩の辺りに修復の跡があるので、以前は首が取れていたようですね。
【10時00分】
ちょっと早い昼ごはん。お手軽にコンビニ弁当でした。本当は車まで戻ってから(ちょうどお昼ごろになると思われるので)食べようと思っていたけど、お腹がすいたので食べる。
【10時08分】
山頂には15分くらいノンビリして下山開始。登ってきたルートではなく広沢寺温泉方面に下ります。って言っても同じルートで下っても広沢寺温泉に行きますが・・・。距離、時間共にどっちから下ってもそれほど違いは無さそうですが・・・。
【10時09分】
山頂に一本だけあった桜の木。次は春に来てみたいな・・・。
【10時10分】
さぁ、気持ちのいい尾根を下ります。
ここからは念の為に熊鈴を鳴らしながら下ります。
【10時22分】
途中、ルートが稜線上から外れますが・・・
【10時23分】
・・・稜線上も進めます。巻き道を通るとほんのチョットだけアップダウンが無くなるのかな。
【10時24分】
一部崩壊している所もあります。
【10時24分】
こんな感じでロープが張ってありますが、それほど危険はありません。
【10時28分】
下りは比較的歩きやすい道が続きます。
【10時33分】
十字路に出た。
【10時33分】
真っ直ぐ行くと見晴広場Bを経て大山に行けます。日向山からの尾根で大山には登ったことはありますが、ここからはまだ行ったことないですね。
右に行くと広沢寺温泉、左に行っても広沢寺温泉??? 何だこりゃ? って思うけど、この下にある山の神隧道のこっち側に出るか向こう側に出るかの違いだと思います。右方面はらくらくコースと書かれているので、比較的楽に下れますが、あの山の神隧道を通らなければなりません。左方面は急な下りがありますが、山の神隧道は通りません。さぁ、本当のらくらくコースはどっちだ!!!
【10時36分】
ちょっと考えて、左に下ることにしました。
【10時37分】
しばらく鎖場が続きますが、ある程度山歩きに慣れている人は、取り立てて障害になるような所はありません。
【10時41分】
ただし、雨の日などで地面が濡れている場合はちょっと滑りやすくなるかも、です。
【10時45分】
10分足らずで林道に出た。
【10時45分】
林道脇にあるトイレ。このトイレは向かいにもう一つあります。つまりトイレが4箇所あります。
【10時46分】
中は和式と・・・
【10時46分】
・・・洋式。どちらもこういったところにあるトイレとしては奇跡的にキレイです。トイレットペーパーもあります。地元に方が管理しているのでしょうか? キレイに使いたいものです。
【10時47分】
これが山の神隧道。中央のトンネル内に露出が合ってしまったので、周りが飛んでます。それはどうでもいいんですが、ここのトンネルは照明施設が一切無く、真っ直ぐなので常に出口が見えてはいるんですが、中は暗く、ちょっと不気味な雰囲気です。
ここで写真を撮っていると、すぐ後ろで「シュッ」という音が・・・
【10時47分】
すぐに振り返ったけど、そこには音の主になるようなものは無かった・・・。
気を取り直して林道を下る・・・。
【10時53分】
ゲート。ここまでは車で入ってこれる。道の脇に数台停められるスペースもある。
【10時53分】
!!!
【10時54分】
脇に騒が流れているのでそれほど暑くない。
【10時58分】
樹林帯の中を進むも、やがて・・・
【11時03分】
・・・なんじゃこれ? 山崩れでもあったのか? こんな山の中なのにやたらキレイに整備されている。日陰は無いし、下からの照り返しで暑い・・・。
【11時05分】
アザミとハチ。
【11時08分】
りっぱな砂防ダムが出来ていた。
【11時09分】
やたらコンパクトな棚田のようなものが・・・
【11時10分】
・・・なるほどそういうことか・・・。
【11時12分】
右から日向山への道が合流。
【11時13分】
振り返るとここにも立派な柵が出来ていた。鹿害が深刻なのか???
【11時14分】
絵に描いたような里山風景。
【11時15分】
林道の脇にあるトイレ。
【11時18分】
ゴールの広沢寺温泉の手前にある神社。
【11時18分】
以下参照。
愛宕社(愛宕社の由来)
廣澤寺本堂正面に対峙する愛宕社の草創は一五三二年、愛宕山大権現・道了大権現を廣澤寺鎮護神と奉請することに甫まる。其後一七五三年龍天護法大善神、白山妙理大権現、秋葉山大権現、山王大権現、金比羅大権現、石尊大権現、熊野三社大権現、飯縄大権現、伊勢天照大神宮、春日大明神、稲荷大明神、八幡大菩薩、富士浅間大菩薩、七沢石の男神の諸善神を合祀し、仏法興隆、防火鎮火、山の安全、豊作豊漁、身体健全、福徳開運、旅行安全、夫婦円満等人々の幸福を祈る神仏混淆時代の名残を留める。
社殿は一七九〇年、一八二一年、一八五五年、一八八二年に改修・再興される。
現社殿は一九八八年廣澤寺檀徒有志、有縁の人々の浄願成って竣工す。
曹洞宗太冨山 廣澤禅寺
【11時19分】
ゴールです。