大変申し訳ございませんでした。私、以前のブログで誤った情報を流布していました。と言ってもほとんど人は何のことか分からないと思います。まず、結論から言いますと、以前、南高尾にある謎の碑に関して何度かこのサイトで紹介していました。そして、およそ2年前の2020年9月にはその謎の碑は一部を除いて無くなってしまった、と書いていました。(以下にリンク)
しかし、今回新たに調査した結果、無くなっていたと思っていた碑はまだ存在していることを確認しました。それだけではなく、新たな謎の碑の存在を確認しました。その他にも、いくつかの新しい発見がありました。なので、今回はその最新情報をお届けします。
と、前置きはこのくらいにします。今までの記事は基本的に山行記のオマケ的な感じで謎の碑のことも取り上げていましたが、今回は山行記と謎の碑の記事を分けています。また、過去に書いたことと重複する部分も多々あります。それは、過去の記事を読まなくても、今回の記事を読めば今までの流れを理解できるようにしたからです。
今回はその2回に分けた記事の「登山編」になります。「謎の碑編」を読みたい方は以下のリンクをクリックしてください。
余談になりますが、ここまでの文章は「登山編」「謎の碑編」共にほぼ共通になっています。
山行データ
山行日 | 2022年11月19日(土) | ||
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コース | 津久井湖 水の苑地(スタート)〜峰の薬師〜三沢峠〜大洞山〜大垂水林道〜謎の碑〜大垂水林道〜大洞山〜三沢峠〜峰の薬師〜津久井湖 水の苑地(ゴール) | ||
山 名 | 大洞山(536m) | タ グ | |
山 域 | 高尾エリア | 累積標高 | (+−)1,183m |
歩行距離 | 20.32km | 所要時間 | 7時間28分 |
関連記事 | 【登山】南高尾の謎の碑は終わっていなかった(謎の碑編) |
高低グラフ
山行記録
予定より少し遅れてのスタートです。そもそも、今日の目的は謎の碑のその後の確認です。僕はもう、ここの謎の碑は終わっていて、あとは残された木製の碑が朽ちていくのを確認するだけなんだ、と思っていました。なので、現場に行っても写真を2、3枚撮ってそれで終わりで滞在時間もほんの数分程度だと思っていました。しかし・・・。
まだ、紅葉が残っていました。
家の間から津久井湖が見えます。
以前までは南高尾の山域に取り付くには、城山湖のほとりにある駐車場を利用できました。しかし、地権者の諸事情によりそこの駐車場は使えなくなったので、今日は津久井湖畔にある水の苑地からのスタートになります。
まずは、南高尾山陵の取り付きにある峰の薬師を目指します。なので、しばらくは舗装路歩きです。
振り向くと城山が見えます。その昔、あの山の山頂には山城がありました。今でこそ周辺は整備されているので気が付きにくいですが、周りを深い谷に囲われているので、かなり攻め難いお城だったんじゃないかと思われます。
この山を登る方は、ただ山頂を目指すだけではなく、山の周辺を歩いてみてください。そうすればここに山城を作った理由が分かると思います。
1つ注意点として、実はすぐ近くにも城山と言う山があります。高尾山を登る人なんかは、地元の人を除けば、城山というと奥高尾にある城山を想像するでしょう。なので、地元の人は、奥高尾にある城山を小仏城山と呼び、こちらの山は津久井城山と読んだりして区別しています。この2つの山は微妙な距離にあり、健脚の人なら1日で両方の山に登ることも可能です。
途中で峰の薬師への分岐(右)がありますが、こちらは車でも行ける道で、今回は昔の表参道から入りたいので、しばらくは道なり(左)に進みます。
津久井湖が一望出来るところがありました。
なんか、崖に張り付いているように建てられた家がある。どうやらお寺らしい。
トンネルを潜る。
紅葉が綺麗。
トンネルを抜けて少し歩くと「峰の薬師入口」のバス停があります。そこを少し進むと・・・
・・・表参道の入口の碑があります。この碑の正面に入口があります。
右上に登って行きます。上の写真の表参道入口の碑は写真の左側にあります。
峰の薬師まで700m。
さぁ、ここから登山開始です。とは言っても、今日の目的は山頂では無いので可能な限り巻道を使い最短で謎の碑に向かいます。
馬頭観音やらなんやら・・・。
最初こそ急だけど、次第に歩きやすくなります。しかし、駐車場から表参道入口まで十分身体を慣らしているので、それほどキツくは感じませんでした。
ここを登れば峰の薬師です、よね?
階段を登り切ると峰の薬師到着。
峰の薬師と言っても分からない人も多いと思いますが、姿三四郎の決闘の地、と言えば分かるでしょう。えっ? 分からない? そうでしょうね、僕もです。姿三四郎という名前は知っているし、架空の人なのも知ってはいますが、どんなキャラクターなのかは僕も詳しくは知りません。
峰の薬師からの展望。
下記参照。
峰の薬師は、明応元年(1482年)の創建と伝えられる古刹で、東京の新井薬師、高尾山の薬王院、大山の日向薬師とともに、武相(武蔵・相模)四大薬師の一つに数えられ、昔から武蔵・相模の人々に、生命を守り、心身の病を治す薬師様として、暑く振興されています。
本尊:薬師如来
基調な自然を大切にしましょう。
神奈川
少し奥に進むと薬師堂があります。
薬師堂の右脇を通り抜けて三沢峠、そして南高尾山陵の稜線に取り付きます。
奥の院。どうでもいいけど、峰の薬師って建物が普通過ぎて、有り難みが半減してると思う。武相四大薬師といっているのに、なんかもったいない・・・。
峰の薬師の裏側にはこのようなアンテナ(中継所)が3本ほど立っていて、下からもよく見えます。なので南高尾山陵の東端の目印なっています。
三沢峠到着。ここから本格的に南高尾山陵が始まります。
昔はそう呼ばれていなかったと思うんですが、いつの頃から、ここから西に伸びる稜線のピークをたどるルート(草戸山を入れればここより少し北からの始まりになります)を「南高尾セブンサミッツ」とか呼ばれるようになりました。低山ですが、全てのピーク(無名のピークを含むと7つどころではない!)を踏むとなると、結構、体力を消費します。僕も以前、全てのピーク(無名のピークも含む)を踏む「オールサミッツ(?)」に挑戦したことがあります。ヘロヘロになりました。
ここで、もう一度確認(言い訳)しますが、今回の目的は謎の碑の確認です。なのでピークを踏む必要は無いのです。登山愛好家にぶっ飛ばれそうな発言ですが、一刻も早く現場に到着したいのです。なので、ピークは踏みません。この南高尾セブンサミッツはほぼ全てのピークに巻道が付けられています。なので今回僕は巻道愛好家になります。南高尾セブンサミッツならぬ、セブンサミラナイです。
セブンサミラナイ。この記事のタイトルを見て、何だ? と思ったことでしょう。これが種明かしです。僕の勝手な造語です。流行らすつもりも無いので、他では使わないようにしましょう。赤っ恥をかくこと必至ですwww
と言うわけで、巻道をぶっ飛ばしてセブンサミッツの西端の大洞山に到着です。前述で「ピークを踏む必要は無いのです」と言っておいて「なんだよ、ピーク踏んでんじゃん」と思った方、正解です。あくまで「ほぼ全てのピーク」です。この大洞山だけは巻道が付けられてないんです。なのでここだけは山頂を通ります。
大洞山を越えてしばらく進むと大垂水林道に降りる場所があります。ここからはしばらく林道歩きです。
ここからのルートは伏せさせていただきます。と言うのも、謎の碑がどのようなものなのか分からないので、公にするのは自粛します。
謎の碑に到着。
冒頭でも書きましたが、前回来たときに僕の勘違いでここの役割は終了した、と思っていました。しかし、今回の調査でそれは全くの勘違いだったと訂正しなければならないような新たな発見がありました。その辺りの詳細は別ページ(以下にリンク)に書いているので興味のある方はご覧になってください。
当初の予定では、写真を数枚撮るだけだと思っていました。しかし、諸々の調査で1時間弱ほど滞在して帰路につきました。そこで僕は大変な過ちを犯してしまったことに気づきました。僕はその間ザックも降ろさずに小さな尾根を登ったり降りたりして、すっかり体力を使い果たしていました。当初はほんの数分で切り上げる予定だったので、帰路に使う体力のことをすっかり失念していました。なので、帰路に付いた瞬間、あれ? もしかして体力、残ってないんじゃね? って思い、本気で甲州街道に出て、そこからバスを乗り継いで津久井湖まで戻ることを考えました。でも、もったいないので自分の足で来た道を戻ることにしました。この決定が、後々僕を苦しめることになるんですが・・・。
なんとか大洞山まで戻ってきました。基本的にここを超えればあとは下り基調なのでなんとかなると思ったんですが・・・。
帰路の途中、異常な空腹に悩まされました。いつもなら、この程度の山行なら昼食を摂らなくてもなんとかなるんですが、今日はダメでした。予定ではもう少しゴールに近いところで昼食を摂るつもりでした。しかし、どう考えてもそこまで辿り着けそうもありません。なので、急遽予定を変更して昼食にします。動けなくなってからでは遅いですからね。特に僕の場合は疲労が過ぎると食事がのどを通らなくなるので、食べられる内に食べないと大変なことになりそうです。
と言うわけで、今日は餃子です。
餃子と言えばビールでしょう。といきたいところですが、車で来ているのでアルコールはご法度です。なので、気分だけでも・・・。
とりあえず、無事食事が出来たせいで、かなり体力は回復しました。これならなんとかゴールまで戻れそうです。
セブンサミッツ唯一と言ってもよい、展望のあるところです。見晴台とか呼ばれています。
これは帰宅後に気がついたんですが、中央より少し右奥に見えるのは富士山ですかね? まぁ、高尾山から見えるのだから、ここから見えても不思議ではないんですが、このルートは何度も歩いていますが、初めて気が付きました。
このページのサムネイルにもなっている龍です。実はこれ休憩用のベンチです。誰が作ったのかは分かりませんが、造形は半端ないっす!
三沢峠まで戻ってきました。ここまでくればあとは楽なはずなんですが・・・。
朝にここを通ったときに気になっていたんですが、三沢峠と峰の薬師の途中に金毘羅様が祀られているところがあります。朝は急いでいたので寄れませんでしたが、帰りに寄ることにしました。
斜面を少し上ったところにあります。距離もそれほどないので、ちょっと寄っていくか、程度のお気楽な気持ちで1歩、2歩と登ったところで足が攣りました。実は先程の龍のベンチの少し手前でも足が攣りました。5分ほどじっとしていれば再び歩けるようになりますが、激痛で顔が歪みます。唯一の救いはその間誰も通らなかったということです。
どうやら膝を大きく曲げるとダメらしいです。なので、普通の斜面ならそれほど大きく膝を曲げなくても歩けますが、段差はそうはいきません。なので、段差はダメです。ほぼ100%攣ります。ということを先程攣ったときに学習したはずなんですが、しばらく普通の斜面を歩けていて、足の痛みもなくなると、すっかり忘れてしまいました。再びこの階段を大きく膝を曲げて登ろうとしたときに、再び来ました。激痛です。僕はこのままここで動けないまま一生を過ごさなければならないかも・・・と覚悟をきめましたが、やはり5分ほどで痛みは和らぎ、再び歩けるようになりました。とにかく段差はダメです。
なんとか、峰の薬師まで戻ってきました。
さて、ここから再び階段があります。鋭い人は上の写真を見て気づいたことでしょう。そうです。車が止まっています。つまり、ここまで車で来ることができるのです。ということは当然そのルートには段差は無いはずです。僕自身当然帰りはこの車道ルートで帰るつもりでした。しかし、何を思ったのか? 僕はこの階段ルートを選んでしまいました。学習能力ゼロです。
結果、案の定、足を攣って痛みで顔を歪めます。我ながら馬鹿なのか? と疑いたくなります。
階段の下で再び5分ほど苦しんで、やっと歩けるようになりました。しかし、一難去ってまた一難です。今度は倒木です。階段では無いですが、当然膝を大きく曲げなくては越えられません。一瞬戻ろうかとも思いましたが、先程の階段を登ることも無理です。進むことも出来ず戻ることも出来ないので、倒木の前でウロウロしていたら、数人組のハイカーが追い越していきました。
いつまでもウロウロしているわけにもいかないので、意を決して、えいっ! って乗り越えます。当然、攣ります。というか攣りました、
なんとか再び動けるようになって、あ〜! やっと車道が見えた! って思ったけど、そこにいくまでに再び階段があります。ここの階段のことはすっかり忘れていました。
しかし、この階段、左の斜面から土が崩れているせいで、左端は段差が埋まっていて普通の斜面のようになっています。なので、そこを通ることにより膝の曲げが最小限になり、無事通過出来ました。
車道に出てしまえば、あとは楽勝です。喉元過ぎればなんとやら、です。
あ〜、もうすぐ太陽が沈む〜・・・。
【15:44】ゴール
ふ〜、色々とありましたが、なんとか無事に戻ってくることができました。
以上、登山編でした。謎の碑編は以下のリンクから読むことが出来ます。南高尾の謎の碑のことを知らない人はもちろん、もう読んだことあるよー、という人も2022年の最新の情報ですので、一読してみてください。