日露戦争開戦直前の青森で、万が一(開戦)の場合に備えて冬の八甲田を越える訓練の必要性に迫られ、青森第5連隊と弘前第31連隊がその任務を与えられた。
弘前第31連隊は弘前を出て十和田湖の南を回り、三本木(現在の十和田市)~増沢~田代平~田茂木野~青森市~弘前というルートを選択し、青森第5連隊は青森市からその逆を回るルートを選んだ。
一足先に出た弘前第31連隊は各村で地元の案内人をたててルートを順調に進んだ。そして最大の難所である八甲田越えを控え、増沢にて数日前に青森第5連隊が出発したと聞いたが、本来ならすでにすれ違っているはずの青森第5連隊の消息が分からなくなっている事を聞く。多少遅れたとしてもすでにここ、増沢には到着しているはずなのだが、おかしいと思いつつも弘前第31連隊も最大の難所の八甲田越えの雪中行軍を開始する。
そのころ、青森第5連隊は雪の八甲田山中を彷徨っていた。いろんな要因が重なり(装備の不備、歴史的な大寒波、指揮系統の乱れ等)青森第5連隊は完全にルートを見失っていた。次々と倒れる隊員たち。猛威を振るう寒波の前で、あるものは服を脱ぎ、あるものは川に飛び込んだ。まさにそこは白い地獄だった。
軍の方もそのころになると青森第5連隊を捜索するための救助隊を田茂木野から田代に向けて出発していた。そんな中、救助隊は雪原に石地蔵のようなものを発見する。それはたったまま仮死状態になっていた青森第5連隊の江藤伍長であった。すぐにその体を暖め、11分後に蘇生し、その口から微かに語られた内容によって遭難事件の概要が明らかになった。
そんな事が起こっていることなど知らず、何度もルートを見失いそうになりながらも地元の案内人のおかげで弘前第31連隊は最大の難所を切り抜けようとしていた時、青森第5連隊の兵士の死体を見つける。そこで初めて、青森第5連隊が遭難していたことを知る(虫の知らせのようなものはあった)。その後、弘前第31連隊は全員に田茂木野にたどり着く。
全員生還した弘前第31連隊とは対照に青森第5連隊は210人中生き残った者はたったの11人しかいなかった。そしてその生き残った11人の内の何人かは重い凍傷で手や足を切断しなければならなかったという。
この物語は史実を元にしたフィクションです。小説の中で登場する名前も実際とは微妙に違います(例えば小説では江藤伍長が実際は後藤伍長だったりします)。しかし、そこ(八甲田)で起こったことは紛れも無い事実です。青森第5連隊や弘前第31連隊が実際にこのルートを歩き、弘前第31連隊無事踏破し、青森第5連隊は210人中199人が凍死したのも事実です。なので、この作品は限りなくノンフィクションに近いフィクションです。
「冬の八甲田を雪中行軍」というキーワードは自分の中では小学生の頃から何となく特別な意味を持っていたような気がします。ちょうどその頃に映画『八甲田山』を観たというのもその原因のひとつだと思いますが、その映画の公開と同じ時期に実際の八甲田を(夏でしたが)見たというのが大きな原因だと思います。それ以来青森へ行く度に目にする八甲田は自分の中で特別なものになっていったような気がします。
それと偶然なんですが、昨年(2005年)9月に八甲田に行ってきました。そしてこれも偶然なんですが「八甲田山雪中行軍記念館」というところにも行ってきました。実際の雪中行軍隊の衣装や装備、当時の資料、そして隊員たちの写真などが展示してありました。その記念館の裏手にある丘(馬立場)の頂上には立ったまま仮死状態で発見された後藤伍長(小説内では江藤伍長)の銅像が発見当時の格好を模して建てられていました。実際に後藤伍長が発見された場所はここからさらに青森市の方向に2km程進んだところらしいですが、ここは見晴らしが良いので今後同じような行軍を行う際の目印になるということでここが選ばれたらしいです。なので、この銅像は台座も含めるとゆうに4~5mはあると思われます。これなら大雪が降っても埋もれることは無いんじゃないでしょうか? 記念館に隣接するお土産屋兼お食事処の中には、庇の部分まで雪で覆われて見えているのは屋根のみの写真が飾ってありました。恐らく2m以上の積雪なのではないでしょうか? そしてここを中心として田茂木野方面と田代平方面で多数の凍死者を出した現場なのです。まさに小説の舞台です。
実際に現場を見た後、この小説を読むとかなり「グッ」と来るものがあります。それに、新田次郎氏の描く冬の八甲田はものすごいリアルです。特に寒波に倒れていく兵士たちの描写は目の前で実際に見ているような錯覚に何度も陥りました。一度読み出したら止まりません。ほとんど一気に読んでしまいました。この作品はたくさんの人に読んでもらいたいです。実際に日本で起きた歴史的事実としてこの先何百年経とうが読みつがれる作品だと思います。
小説内では生き残った兵士に関しては、発表時期が微妙な時だったせいか、あまり詳しく出ていません。その辺を知りたい方は「八甲田山雪中行軍記念館」へ行ってみてください。フィクションだった世界が急にリアルになりますよ。自分ももう一度行ってみたいと思っています。