ご注意:今回登った毛無山へのコースは一般登山道どころか、バリエーションルートでさえないルートをたどっているので、この山行記を見て同じルートを辿ろうなんてことは夢にも思わないで下さい。地形が複雑で迷いやすいだけではなく、数年前の台風の影響で谷筋が大きく削られてしまっている箇所が何箇所もありとても危険です。なので、今回も安全の為にルートを意図的に飛ばしています。ご了承下さい。
また、この山行記内では所々「分かる人だけ分かればいい」的な記述をしていますので、その辺の所はあまり気にせず読み飛ばして下さい。
さて、訳あって数年前にこの山域で半年ほどお仕事をする機会を得て、ほぼ毎日のように毛無山の西側を歩きまわっていました。そのおかげで、今回のような一見無謀にも思えるようなルートを辿ることが出来ました。なので、一般の人が近づくことはかなり難しいと思われます。では、なぜそんな難しいコースを選んだかと言うと、一昨年の春にある確かな情報で・・・あっ、その前にこの山域には金山遺跡があることを説明しておかなければなりませんね。
毛無山の西側(山梨県側)には日本でも初期の頃の金の採掘跡があります。それがタイトルにもある「湯之奥金山遺跡」と呼ばれるものです。この遺跡は中山金山遺跡、内山金山遺跡、茅小屋金山遺跡という3つの遺跡を総称してそう呼ばれています。中山金山遺跡は山梨県側にある下部温泉の奥から毛無山へと登るルートの途中にあるので、このルートを通ったことがある方は一度は耳にしたことがあると思います。茅小屋金山遺跡もまた下部温泉の奥にある沢沿いを遡上すれば(以前なら)30分ほどで到着出来るので、(以前なら)比較的簡単に行けていました。そして、一番奥まったところにあるのが内山金山遺跡で、関係者以外はその場所を知っているという人はほとんどいなく、登山道からもバリエーションルートからも遠く離れているために訪れる人も皆無だと思われます。
と、ここで話を戻します。・・・確かな情報で、数年前の台風で茅小屋金山遺跡がかなりのダメージをうけてしまったということを聞きました。前述で(以前なら)と書いているのはその台風以前ならと言う意味です。なので現在、茅小屋金山遺跡に行くのは以前より少し難易度が上がっています。と、また話しが逸れましたが、つまり、茅小屋金山遺跡がダメージを受けたということはもしかしたら内山金山遺跡も何らかの影響を受けたのではないかということで、今回はその確認が最大の目的でした。内山金山遺跡に関してはその後の情報が入ってこなかったのでずっと気にはなっていたんですが、ルートがルートだけに、半年間歩き慣れた場所だとはいえ、そう簡単に行ける場所では無いので、ズルズルと先延ばしになって、結局今回やっと行ってきました。
んで、結果は・・・これは本文内で詳しく説明していきたいと思います。
山行データ
山行日 | 2013年09月22日(日) | ||
---|---|---|---|
コース | (スタート)湯之奥猪之頭林道ゲート前~茅小屋金山遺跡~内山金山遺跡~毛無山~地蔵峠~中山金山遺跡~湯之奥猪之頭林道ゲート前(ゴール) | ||
山 名 | 毛無山(1946m) | タ グ | |
山 域 | 天子山地エリア | 累積標高 | (+)1,166m |
歩行距離 | 16.478km | 所要時間 | 07時間57分 |
関連記事 |
山行記録
【07時48分】
3時30分に起床するつもりが、実際に起きたのは5時・・・。最近立て続けに寝坊している。疲れているのか? 俺?
まぁ、遅れたものはしようがない。6時に到着する予定が7時半になり、やっとスタート出来る。車は湯之奥村の奥にある林道ゲートの脇に駐める。
【07時48分】
しばらくは来た道を戻る。
【07時49分】
相変わらず車は落ちたままだ。
【07時54分】
林道と入ノ沢がぶつかっている所が入り口。
【07時55分】
こんな解説板もある。
湯の奥金山(茅小屋金山・内山金山)
天文年間(一五一〇年頃)より採掘が行われ、天明年間(一七八〇年頃)閉山になっている。湯の奥金山は中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑に分かれて居りこの入ノ沢に沿って約三十分程登ると茅小屋金山に達する。
これら、金山跡には、宮屋敷・寺屋敷・集落跡と、数々の遺跡当時の人々墓地などあり往時を物語って居る。更にこの湯の奥、猪の頭林道を約二.五キロメートル程登って行き広河原より山腹に入ると中山金山の遺蹟があり毛無山の山頂に達する。又、この沢においては明治時代後期まで砂金の採集が行われていたのである。
昭和六十一年三月
【07時55分】
あらら、道が崩れている。
【07時55分】
林道を外れて作業道に入る。
【07時58分】
左に入ノ沢。
【08時01分】
おっ! 新しいダムが出来ている・・・。
【08時01分】
分岐を左に進んで・・・
【08時02分】
・・・入ノ沢を渡る。じつはこの橋が残っているかチョット心配だった。ダムが完成したら壊されると思っていたけど、残したようですね。よかった・・・。もし、この橋が壊されていたら上の写真の分岐を直進してもう少し上流で渡渉しなくてはならなかったけど、数日前の台風の影響で水嵩が増えているので、それは不可能だと思う。つまり、早々にここでリタイアしなくてはならない。今回の山行は色々な意味で想定しているルートを辿るのが不可能な場合は、無理をせず引き返すということを心に決めていた。
【08時03分】
じぇじぇじぇ・・・モノレールが出来てる・・・。このあといしばらく並走するが、そのご植林地の方に向かっていったので恐らく林業用なのかな???
【08時05分】
ダム! 以前これを作っているところを見ていて結局完成までは見れなかったけど、やっと完成が見れた。でも、もうすでに土砂で埋まっていた。
【08時05分】
見えにくいけど上の写真の数メートル下にも小さな砂防ダムが出来ていた。つまり、全部で3つ作ったんだ。
【08時06分】
さて、ここからが本格的な登山道になる。さすがにココからは目をつぶっていても歩ける(喩え話です、本当に目をつぶって歩いたらコケてしまう)くらい何度も行き来した道だけど、取り付きの部分が微妙に違っていたので慎重に進む。
と同時に熊鈴もセットする。この山域では熊がいます。調査中も2度目撃されているので、気は抜けません。
【08時09分】
炭焼き窯の跡? 例のブツをデポしていた場所です。
【08時12分】
しばらくはモノレールと並走します。
【08時13分】
以前はこの辺りに渡渉点がありましたが、今はすっかり景色は変わってしまっていました。
【08時17分】
一度川原に出ます。この辺りもすっかり変わっています。この手前で、モノレールは斜面を上がっていきました。
【08時17分】
以前は右岸側の斜面をトラロープを頼りに進みましたが、今は初期の頃に通っていた沢の中を進みます。
治山工事の人が付けたのでしょうか? このような矢印が付いていました。
【08時18分】
以前、我々が付けたトラロープは残っていることは残っていますが、使用は不可能かと思います。無理に登ろうとすれば、小さな尾根毎ごっそり崩れてきそうです。
【08時19分】
基本的には所々に付いている赤ペンキを頼りに進みますが、この辺りの大きな岩の配置はそれほど変わっていないので、以前の記憶をたよりに進みます。
【08時23分】
チョット苦労したけど、なんとか渡り切ることが出来た。写真はホッとして振り向いた所。
【08時25分】
ふ〜、本ルートに戻れた。
【08時25分】
何だこれ? この後も点々とルート上に続いていました。
ここで気になるのは例のおじさんが住んでいた岩室ですが、ずっと気をつけて歩いていたのですが、この辺りだということは分かったんですが、今はすっかり流されていました。場所にもよりますが、我々が通っていた場所と実際に沢の流れいる場所の間にあった川原は全て水に浸かったようです。景色は一変していました。
【08時29分】
初日に最初に休憩した場所です。
【08時31分】
さぁ、この当たりから、茅小屋金山遺跡に入ります。変な形の岩はまだそこにありました。
【08時34分】
あの崩落地跡です。我々はあの後はここを直進しないで、一段下の石碑があるところを迂回していましたが、今は、まっすぐにしっかりとした踏み跡がありました。あの後かなりの人の行き来があったんだと思います。
【08時37分】
せっかくなんで崩落地を渡った後、引き返してきました。ここは以前とあまり変わっていませんね。
【08時39分】
ルート上にあった折れた石碑もそのままです。この少し先からテラス群が見られるようになりますが・・・
【08時40分】
・・・斜面の上からの大小の石で埋め尽くされていて見る影もありません。
【08時46分】
覚えていますか? 我々の第一休憩ポイントです。
【08時47分】
そこから見た沢の景色は衝撃的でした・・・。思わずボー然と立ち尽くしてしまいました。
【08時48分】
今はこんな感じになっています。上流から流れてきた大岩と倒木で埋め尽くされています。
【08時49分】
「宮屋敷跡」と呼ばれていた場所ももはや見る影もありません。というか場所を特定するのも難しいくらいです。かろうじて樹木の位置でこの辺にあったな、というくらいです。山の神も「宮屋敷跡」と書かれた板切れも見当たりません。
しばらく辺りをウロウロしましたが、ジブンの記憶と一致する場所はほとんどありませんでした。
いつまでもここにいるわけにもいかないので、次は最深部にある内山金山遺跡に向かいます。この調子では無事にたどり着けるのか不安ですが、行けることろまでは行ってみましょう。
【08時53分】
我々が渡渉していた場所です。覚えていますか? 景色は全く変わっていますが、向こう岸の取り付き点の位置からココなのは間違いありません。じつはここも以前のままだったら水量が多くて渡るのは困難だったかもしれませんが、今は上流から大岩が流れてきたおかげで、逆に渡りやすくなっています。
【08時54分】
上の写真の所で振り向いたところです。この木が沢側に倒れるのは時間の問題だと思いますが問題はそこじゃなくて、以前雨の日に上に置いてあった荷物を移動するため、ここにザックをデポして行ったのを覚えていますか? その時大岩があってそこの雨が当たらない所にデポしたと思いますが、その大岩がゴッソリ無くなっています。あの大岩が流される水の力って・・・スゴイ・・・。
【08時56分】
渡りきった所から振り向いいます。以前の面影はありません。思わずボー然としてしまいます。
【08時58分】
気を取り直して先に進みます。
この先の水場は以前のままでした。ただしこの日は、水量は多くなっています。
【09時08分】
水平の道に出ます。2日目に荷物をデポしたところですね。
【09時10分】
途中で道は右斜面からの土砂で埋まっていました。直進するのは危険なので、すこし上を高巻きます。
【09時23分】
水平道が終わって、ガラガラした小さい尾根を超える所にあった小さな沢が大崩落して、山肌に鋭いV字の谷を作っていました。今でもいつ崩れてもおかしくないような雰囲気だったので足早に通り過ぎます。わかりやすく言うと富士山の大沢崩れを渡っている感じです。もちろん縁までは行ったことはありますが、渡ったことはありませんが・・・。
【09時27分】
大ガレの下の突き当りです。ここも少し変わっていて以前はよいしょっと超えていましたが、いまは簡単に上がれるようになっていました。
【09時27分】
ここの沢は大きくは変わっていません。
【09時29分】
正面奥に見えるのが確か、七面山だったような・・・。
【09時31分】
内山の大ガレを見上げています。衝撃的な光景でした。以前はこのU字の谷に沢山の岩が堆積していましたが、今はそれらが全て流されてしまったようです。谷の深さは4〜5メートルくらいはありそうです。当然、この付近にあったヤシャブシもキレイに無くなっています。ちなみに、下に以前撮った写真を貼り付けておきます。
【2010年】
この写真は2010年12月26日に撮影したものです。ほぼ同じ位置から大ガレを見上げています。谷の左右にある木の位置を見てもらえば、何があったかを理解して貰えると思います。
【09時32分】
ここは第2の休憩ポイントです。しかし、季節が進む毎に休憩ポイントが移動していきました。
【09時32分】
さて、この尾根に取り付きますが、以前と違い高さがあるので、慎重に登ります。基本的には三点支持で斜面に取り付きますが、まだ岩はもろく、ちょっと触っただけで簡単に落ちてしまいます。つかむ岩と足をかける岩を慎重に選んでよじ登ります。
【09時36分】
ふ〜、なんとか登れた・・・。あとは尾根伝いに登ってトラバースして、再びの・・・
【09時41分】
・・・谷越え・・・。もう、ちょっとやそっとでは驚きません。ここは先ほどの大ガレを見てある程度は想像できていました。ここもやっぱり谷の底に貯まっていた岩は流されています。例の山椒もすっかり無くなっています。百歩譲って谷の底に降りられても、向こう岸で登るのは不可能です。少し下流からなら取り付けそうですが、向こうの尾根を下から登るのは相当骨が折れる事だと思います。
ここは気を取り直して、後半に使っていた上流コースに行ってみることにしました。もし、ここもダメだったら引き返す、つもりで再び斜面を登ります。
【09時53分】
うん、ここまで上がると何とかなりそうなので、木にぶら下がりながら斜面を滑って谷の底に降りる。
【09時54分】
谷の底から見た下流側・・・
【09時54分】
・・・こっちは上流側、もう何がなんだか分かりません。
【09時54分】
谷に降りたからには再び登り返さなくてはなりません。上の方に見える稜線に向かって登ります。ここは以前とほとんど変わらないように見えます。薄い踏み跡も残っています。
【09時55分】
よし、尾根に乗った。でも、ここからが大変です。細い急な尾根を木や岩に捉まりながらひたすら登ります。この尾根も台風の影響はほとんど受けていないようです。
【10時07分】
細尾根の特に細くなったところ。注意して進みます。
【10時09分】
細尾根を登りつめると遺跡の道に出ます。
【10時10分】
左に進むと数メートル先で崩れていて先に進むことは出来ません。昔はずっと先まで繋がっていたと思われます。一度調査で下から大回りしてこの先に道があるか確認しに行ったことがありますが、案の定この先にも道は続いていました。しかし、数十メートル進んだ所で再び通れなくなっています。そこから先はまだ行っていません。気になりますね・・・。
【10時10分】
今度は右に向かいます。ここは道幅も広くほぼ水平なので歩きやすいですが・・・
【10時11分】
・・・すぐに雨裂に行き先を阻まれてしまいます。ここも昔は普通に通れたんだと思いますが、水の侵食で谷が出来ています。ここは危険なのでトラロープを張っています。でも、上から落ちてきた倒木が引っかっかってロープがつかみにくいです。それでも、おっかなびっくり谷に降りて(ここに降りる時は一枚岩の斜面なので足を滑らせたら下の方まで落ちてしまいます)再び登り返します。
【10時15分】
一部道は斜面の上からの崩落物で道が埋まっています。ザレた斜面を慎重にトラバースします。万が一落ちたら登り返すのは足元が崩れるので相当大変です。でも積極的に下りに使う場合は富士山の砂走りのように下れるのでちょっと楽です。調査前半では先ほど登ってきた細尾根を下っていましたが、後半はここから一気に下っていました。しかし、今は細尾根の隣に深い谷が出来ているので、ここを下るのは無謀だと思います。それに、いくつかの谷を超えるので、現状が分からない限りはココからは下れませんね・・・。
【10時19分】
ザレ場を慎重にトラバースして、細くなって右側が切れ落ちたところを過ぎるとチョット開けた所に出ます。ここが遺跡の入り口的なところです。
【10時19分】
このコンクリート杭・・・重かった・・・。
【10時19分】
この小さい尾根をよじ登ります。当初はココかからよじ登っていたけど、後半はもう少し先に行って尾根の横から取り付きます。
【10時23分】
尾根に乗れた。あとはひたすら急登をよじ登ります。同じ急登でも先週行った北アルプスの重太郎新道は整備されていたけど、こっちは整備なんかしていないし、しばらくは人も歩いていないような所なので、足元は不安定です。
【10時34分】
ふ〜、やっと平らなテラスに出た。
【10時35分】
ここにあった汰り滓(ゆりかす)もそのまま。
【10時37分】
以前、テントが張ってあった場所です。
【10時37分】
そして、ここが旧Gテラス、我々がベースとして使用していたところです。ここで何度昼食を食べたことでしょう・・・。あの日の記憶が蘇ります。というか、あれから数年経っているのに何も変わっていないように見えます。記憶の景色とバッチリ一致しました。さすがにここは台風の影響は受けていないようですね。
【10時38分】
中央にあるアセビの木にぶら下げた熊鈴・・・。これはここよりずーっと西側にある大ガレの近くで見つけました。平成の頭にあった調査時に落とされたものでしょうか? それとももっと上の稜線から落ちてきたのか? とにかく普通に人が歩けないような場所で見つけました。
ここに立っているとなんか変な気分になってきます。茅小屋金山遺跡や大ガレはあれほど変わっているのに、ここは何も変わっていません。まるで時間が止まってしまったようです。
【10時39分】
いつまでも感傷に浸っているわけにもいきません。以前ならば、林道からここまでは休憩なしで1時間10分程で到着していましたが、今日は2時間半もかかっています。まぁ、写真を撮ったり、コースの変更を余儀なくされていたので仕方ないと言えば仕方ないですが、時間がかかりすぎですね。さぁ、次は水場へ向かいます。
【10時42分】
文字の読めない石碑もそのまま。
【10時45分】
このトラロープの場所もそのまま。
【10時47分】
ただし、(ピントが合っていませんが)このトゲトゲは成長していました・・・。
【10時48分】
重かった・・・。
【10時50分】
石塔もそのままです。ここのテラスも沢の横なので何らかの影響があるかと思っていましたが、特に大きく変わった様子はありません。しかし・・・
【10時50分】
・・・その沢はチョット変わっています。もっと大きな岩がたくさんあったと思いますが、かなりの岩が流されてしまったようです。この下にあった巨大な汰り滓は少し下流に流されたようです。
【10時54分】
さぁ、この先が今回のルートでの最難関になることは登る前から容易に想像出来ましたが、やっぱりその通りでした。ここからは手足を総動員して進まなくてはいけないので、手袋をします。
【10時54分】
まずは旧Rテラスと旧Sテラスにある雨裂を越えます。
【10時56分】
雨裂の上流部・・・この先にはアレがありますが、現在はそこに行けるのかは不明です。見た感じでは行けそうですが、どうでしょう???
【10時57分】
さぁ、沢を遡上します。
【11時01分】
最初の滝です。この辺りはまだ大きく変わったようには見えません。ルートも以前のまま通れます。
【11時08分】
ボーっと見ていると吸い込まれそうになります。
この先は何度かの渡渉を繰り返して大滝直下の左岸を垂直によじ登って高巻きして上部に出ます。が、・・・
【11時09分】
・・・早速ルートが無くなっていました。仕方なく無理やり沢を渡り、左岸側に移ります。写真は渡った所を振り返っています。
【11時09分】
結局ここから先はずっと左岸側を進みことになりますが、ハッキリ言ってこのコース、坑道1を発見した時に下りで使ったことはありますが、登りでは使ったことはありません。それに、その時と少し変わっているので果たして登れるのでしょうか???
写真で見ると楽に歩けそうなんだけどな〜。でも、実際はここは進めないので左岸側の崖を登ります。
1ヶ所、倒木と崩れでオーバーハング気味な所を手足を突っ張って何とか乗り切り、上にあがってきました。ここは登れたけど下れません。ということはここから先は何が何でも先に進むしかなくなりました。この先何が待っているか分かりませんが、急に不安感が全身にまとわりつき始めました。
【11時21分】
大滝が見えてきました。対岸を見ると自分たちが張ったトラロープが見えます。本当ならばここはまだ右岸側を通っているはずなのに・・・。急な斜面、不安定な足場、沢の左岸側は切り立った岩場で、いまはその上部をトラバースしています。もし、足を滑らせれば、沢の中の大岩に全身を叩きつけられて・・・、とにかく慎重に進みます。
知らず知らずに大声で「潮騒のメモリー」を歌っていました。もちろん普段はそんなことはしていません、というか、初めてですが、そうしていないと気が狂いそうになっています。
【11時29分】
ふ〜、やっと正規ルートに戻った。
【11時30分】
大滝を見下ろしています。本来ならば危険地帯はここで終わりで、あとは急ではあるけど、それほど危険でもない斜面をひたすら稜線に向けて登っていくだけですが・・・
【11時38分】
・・・目の前の光景を見てボー然としてしまいました。ここで初めて遭難、救助要請という言葉が頭を過ります。
あまりにも以前と変わってしまっています。ここはいくつかの沢が集まっている場所ですが、以前は堆積物が多く、あまり大きな凸凹はありませんでしたが、その堆積物が流されてしまったようで、深い谷が幾筋もできていました。坑道2への雨裂もすっかり流されてしまい。歩きやすくなった反面・・・
【11時42分】
・・・坑道2の穴があんなに高いところに・・・。よじ登れないこともないですが、そのままでは出入りはほぼ不可能です。上からザイルでも垂らしてきちんと自己ビレイして登らなければ、洒落にならないことになります。以前ならば穴の周りはザラザラの砂みたいでしたが、いまは落ちたら岩です。当たりどころが悪ければそこが終焉の場となります。ハッキリ言ってヘルメットを持ってこなかったことを後悔しました。
ここからは想定していたルートはたどれません。少し迂回してなんとかならないかとウロウロしましたが、どう考えても無理そうです。地形図はあるていどは頭に入っているので、この先の別ルートを考えます。と同時にGPSで毛無山から伸びる稜線の距離と方向を確認する。この時は毛無山への登頂は考えていませんでした。とりあえず、稜線まで登れればバリエーションルートがあるのでなんとかなるだろうと考えました。
【11時50分】
自分を落ち着かせる為に水筒に沢の水を汲みます。昼食のカップ麺用です。
【11時51分】
自分が登ってきた所を振り返ってみます。沢というより滝ですね・・・。
【11時59分】
いくつかのルート候補の中から自分が選んだのは、坑道2の上部にある稜線に向かうことにしました。ある程度までは調査で歩いているので、稜線までは出れるだろうと思いました。
とりあえずは高い所に向かって登ってきます。万が一を考えて谷部は避けて登りにくくても尾根部を歩きます。そもそも真っ直ぐ歩くとは想定していません。何度も立ち止まって地形を観察して少しでも楽に歩けそうなところを選んで進みます。
【12時22分】
タマゴタケ。
【12時30分】
ん? 道に出た。もちろん地図に出ているような登山道じゃないです。初めは林業のための道かと思いましたが、それにしては広くて歩きやすいです。しばらくはその道沿いに進みます。ほぼ等高線に沿って通っているようです。ここでふと、毛無山の北西に伸びる吊尾根の少し下にもこのような道が続いていることを思い出しました。恐らくその道に繋がっているんだと思います。いつかその道がどこに繋がっているか調査したかったんですが、結局期間終了でモヤモヤが残ってしまいました。もし、その道に繋がっているのなら相当な長さがあることになります。その一端は中山金山遺跡の採鉱域の方向に伸びているのも気になるところです。
【12時32分】
トリカブト。なぜかこの道沿いに群生しています。
【12時37分】
一度その謎の道を外れて直登すると、さらに上にも道がありました。。。そこからさらに斜面を稜線上に登ると・・・
【13時08分】
・・・やっと稜線上にある正規な登山道に出た! ちょうどそこを通っていた親子連れのハイカーに毛無山への正規ルートであることを確認して一安心・・・。それにしても、変な場所から飛び出てきたし、怪しかったのか、その親子連れのハイカーからお化けを見るような目で見られてしまった・・・。
【13時10分】
山頂に寄る気はなかったけど、正規ルートに飛び出たのが山頂から100メートル位のところだったので、ちょっと寄り道・・・。
【13時11分】
この方向に富士山が・・・見えねぇ〜。
【13時11分】
一応、写真は撮っておく。
昼食にしようと思ったけど、夕方から天気が崩れるかもしれないという予報だったし、3連休なので、帰りの渋滞のことを考えるとユックリとはしていられない。手袋を取って、ストックを出して再出発。山頂滞在時間約2分・・・。
【13時18分】
北アルプス展望台。景色は想像できる(ガスっていて真っ白)ので登るまでもない。
【13時38分】
前回の時もそうだったけど、山頂から湯之奥方面に下るルートが不明瞭・・・。ルート自体はハッキリとしているけど、静岡県側に下るルートとダブっているので、分岐を間違えたら静岡県側に下ってしまう。とりあえず地蔵峠に向かう。
【13時51分】
地蔵峠到着。
【13時51分】
ここから湯之奥方面への分岐がある。
【13時52分】
案内板が出来ていた。
【13時53分】
本当は正面に富士山がドーンと見えるが・・・何も見えません。
【13時53分】
案内板の上にカメラを置く台が設置されています。
【13時53分】
さぁ、どんどん下るよ〜!
【13時58分】
ずーっと下って沢を渡ると、道がチョット広くなっています。
【13時58分】
そこが水飲み場。でも、それほど水は流れていません。時期によっては枯れていることも・・・。
【14時01分】
おっ、また案内板だ・・・。
【14時01分】
七人塚。
【14時02分】
さらに進んで、広くなった所が・・・
【14時02分】
・・・大名屋敷。
【14時05分】
道の左側の細長いテラスが・・・
【14時06分】
・・・女郎屋敷。
【14時06分】
こんな感じです。
【14時09分】
湯之奥から登ってきたら中山金山遺跡の入り口にある案内板。
【14時17分】
ここからはひたすら下ります。
【14時19分】
山の神もあります。
【14時19分】
いや、このさすがに案内板いらないかと・・・。
【14時37分】
広くなった所に出た。以前は間違ってここを左に進んでしまった。
【14時37分】
山頂方向はあるけど、下山方向の道標は無し。
【14時37分】
そうそう、あっち行っちゃんだよな。あっちの方が道が広いし・・・。
【14時38分】
今回は間違えない。急な斜面をジグザグにドンドン下っていく。
【14時55分】
おっ、なんか真っ直ぐな所に出た。
【15時01分】
右下に林道が見えてきた。
【15時02分】
お〜! 登山道脱出・・・。文字通り生きて帰ってきた気分・・・。
【15時02分】
以下参照。
毛無山の中山金山
毛無山の山腹には甲斐武将武田信玄の採掘した金鉱の道跡がある、これを湯の奥金山と云う。湯の奥金山は中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑がありその中最も大掛かりに採掘されたのがこの中山金山である。。
金山の最盛期を偲ばせるものゝ中には、中山千軒と呼ぶ土地言葉も伝わって鉱夫等の守護神であった金山神社が七社祀られていた。更に大名屋敷、女郎屋敷、七人塚(墓地)等の地名も今に伝わり往時を偲ばせて居る。
長期に亘り採掘した現場厳しい懸崖の地にあり、坑道跡も僅か十ヶ所前後のものとなっている。
昭和四十年代集落跡から多彩な出土品もありその主なものには安土桃山時代の作品と云われる天目茶碗等の出土品もあった。
又、毛無山山頂に登ると霊峰富士が眼前に展へ遠くは駿河湾、甲府盆地など一眺に望みその風光はすばらしい。郷土の尊い文化遺跡に付荒らさないで下さい。
昭和六十一年三月
【15時03分】
ここが毛無山の入り口、というか今は出口。
【15時03分】
後は林道を歩くだけ、山奥のわりには車やバイクが通って行く。
【15時13分】
斜面の上から崩れてきた土砂がたまっている。さすがにもう限界だろう。いずれ道が塞がれるぞ。
【15時28分】
飽きてきた・・・。
【15時33分】
下の沢がまだあんなに低いところにある。
【15時43分】
うお〜! ゴールはまだか〜? って思ったら・・・
【15時44分】
・・・ゴールでした。
とりあえず、無事に戻ってこれて良かった。このあと、通常ならば家まで2時間チョットのところ、中央道の渋滞にハマってしまい、5時間位上もかかってしまった・・・。普段ならば積極的に渋滞を避けて道を選ぶけど、この日は疲れきっていてそれどころじゃなく、気づいたら渋滞にドップリとはまっていた。ここ10年で最長最悪の渋滞でした・・・。