今回も簡易版での更新となります。
数年毎にふと気になってしまう、南高尾の謎の碑を確認してきました。以前調べた時は何故ここにこのような物があるのかは謎でした。今調べれば何か分かるのかも知れませんが、ここまできたら、もう謎は謎のままでいいや、と敢えて調べません。
このブログの記事内で誤った追記をしてしまいましたので新たに追記をさせていただきます。その後の調査(2022年11月19日)で無くなったと思っていた謎の碑はまだ存在していました。完全に自分の早とちりでした。申し訳ございませんでした。以下に最新情報の記事のリンクを張っておきました。謎の碑に興味のある方はこちらを御覧ください。
山行データ
山行記録
【07時50分】
城山湖の駐車場はまだ開いていないようなので、一段下にある臨時駐車場に車を停める。歩いて5分くらいの所にありました。城山湖は何度か来たことがありますがこんな駐車場があるのは知りませんでした。
【08時20分】
30分ほどで南高尾山稜の取付きに到着。
【08時24分】
小さいピークを越えて、三沢峠に到着。ここを右に行くと高尾山方面です。
【08時39分】
稜線上にはいくつかのピーク(山)がありますが、今日の目的は謎の碑なので、基本的にすべてピークを避けて巻道を進みます。
【08時43分】
たっ食べられるの?
【09時01分】
見晴台からの景色。今日のコース一番の展望です。ってか、ココ以外ずっと樹林帯の中です。でも、今日は気温が高かったので、ずっと日陰を歩けるのはありがたいです。ちなみに右下は津久井湖です。
【09時34分】
今日の最高峰の・・・
【09時35分】
・・・大洞山到着です。ここを越えて・・・
【09時47分】
・・・大垂水峠の少し手前で林道におります。
【10時05分】
林道をウニャウニャ進んで、ある所から支尾根に入り、ヤブを突き抜けると、謎の碑があります。ここどんな意味を持った場所なのか分からないので詳しいコースの説明はご勘弁下さい。もっとも、支尾根の入口付近がかなりヤブに覆われているので、この場所を知っている人と同行しなければ簡単にはたどり着けないと思いますが・・・。
ちなみに一番奥の碑には「第一親王 御胞衣(おえな)」裏に「平成十八年九月六日 御誕生」真ん中の碑には「第二内親王 御胞衣」裏に「平成六年十二月二十九日 御誕生」とあります。一番手前の碑は判読不能です。ピンとくる人もいるかと思いますが、平成十八年九月六日生まれの第一親王とは、秋篠宮家の悠仁親王の事で真ん中の平成十八年九月六日生まれの第二内親王とは佳子内親王のことだと思われます。そうなると一番手前の碑には「第一内親王 御胞衣」「平成三年十月二十三日 御誕生」と書かれていて、眞子内親王のことなのか? と推測出来ます。ちなみに「えな」とは胎盤のことです。字面の通り解釈すると、ここに秋篠宮家の子供たちが生まれた時の胎盤が埋められている? となりますが、いやいや、なんでこんな所に? と謎は深まるばかりです。
【10時07分】
上の3本は木製でしたが、こちらは石(御影石?)製です。一番手前の碑には「第一王子御胞衣」とあります。
【10時07分】
更に奥にはちいさい石の碑が3本。かろうじて「大正十五年十二月」と読めます。
【10時10分】
以前来た時には気が付かなったけど、さらに奥には木の碑(字が書いてあるのかは不明)もあります。その傍らには・・・
【10時10分】
・・・倒れた碑が・・・。その後もしばし辺りをウロウロしましたが新しい発見はありませんでした。
【10時30分】
さて、今日の目的を達成したので帰ります。帰りもこんなヤブに突入していきます。
【10時58分】
ふ〜、大洞山に帰ってきた。ここからは下り基調になるので楽かと思ったら、結構小さなアップダウンがある。
【11時49分】
ちょっと本ルートを外れて、鳥居の前の・・・
【11時51分】
・・・ベンチで・・・
【11時54分】
・・・昼食。
【12時11分】
食事を終わってさて、再出発しようかと立ち上がったらすぐ後ろに炭焼き窯の跡らしきものがあったのに気がついた・・・。でも、すぐ後ろに鳥居が建っているので、なにか宗教的な施設の跡なのかもしれない・・・。
【13時03分】
鳥居から1時間ほどでゴールです。今日の予報では気温が高くなると言っていたので、低山はちょっとつらいかな? と思ったけど、樹林帯の中なのでずっと日陰で、風も程よく吹いていたのでそれほど暑さを感じず、気持ちのよい山歩きが出来ました。