今年の4月にこのサイトをリニューアルして、それを機に、僕のホームグラウンドである丹沢の山々を東から西に向かって、登り直していこうとと、ふんわり考えていました。
丹沢の主だった山はほぼほぼ登っているので、2周目と言えますね。もちろん1回しか登っていない山もあれば、20回近く登っている山もあります。なので、東から西にと言っても、ルールは適当で、同じ山を何度も登ることもあれば、突然丹沢の最西端の山に登るかもしれません。基本はその時に登りたい山に登るということです。
しかし、リニューアルしてから約8ヶ月、未だ丹沢の東の端っこをチョロチョロしています。
しかも、今回は西に向かうどころか以前登った丹沢前衛の山のさらに東側の山です。こんなペースでいったら、僕はあと何年で山中湖を見ることが出来るのでしょうかwww
と、言うことで今回は志田尾根三山を縦走してきました。志田尾根は前回登った丹沢の山(鐘ヶ嶽)より東側にあります。標高も300m前後と山登りをしている人からすれば、何だそんなもんか! と思うかもしれませんが、かなかなどうして、面白い山です。
この尾根は山登りを始めた15年ほど前にも歩いていますが、色々な山の経験を積んだ今、再びこの山に登ってみて、果たして僕は15年分の成長を感じることが出来るのでしょうか?
今回はその前編で、秋川橋の下の河原に車を停めて、そこから登山口(登山口を間違えた)を経て、富士居山までです。
山行データ
山行日 | 2020年11月28日(土) | ||
---|---|---|---|
コース | 愛川橋(スタート)〜馬渡橋〜登山口〜富士居山〜向山〜大峰〜登山口〜愛川大橋〜愛川橋(ゴール) | ||
山 名 | 富士居山(253m) 向山(375m) 大峰(335m) | タ グ | |
山 域 | 丹沢エリア | 累積標高 | (+−)605m |
歩行距離 | 10.2km | 所要時間 | 4時間07分 |
関連記事 | 【登山】志田尾根三山縦走してきました【前編】 【登山】志田尾根三山縦走してきました【後編】 |
マップ
高低グラフ
山行記録
愛川橋の下に車を停めてスタートします。
いつもならキャンパーさん達で一杯なのですが、今日はほとんどいませんね。
河原から一段上がったところに綺麗なトイレがあります。
ここからしばらくは車道を南下します。
トンネルをくぐります。
車道と並行して中津川が流れています。
小学生の頃に、友達のお父さんが釣り好きだったので、毎週のように一緒に連れてきてもらいました。あの頃とは随分と風景は変わっていますね。
でも、水の綺麗さはあの頃と変わっていませんね。
馬渡橋を渡ります。手前を右に曲がれば塩川滝です。
橋を渡って、車道をそのまま進むんでもいいんですが、左上への歩道を進むとちょっとだけショートカットできます。
車道を進んでもこの先でUターンして歩道の先と合流します。車道はこの先、歩道が無くなり危険なので、歩く場合はショートカットルートをお勧めします。
ショートカットルートを進むと、先程の車道がUターンしてきたところと合流します。
この案内板のすぐ後ろが中学校なので、そこが城跡だと思っていたけど、どうやら違うようですね。機会があれば城跡に行ってたいと思います。
車道に合流して、坂を登るように進みます。この辺りは歩道が無いので、車が来るとちょっとビビります。
道の脇に石碑が並んでいます。
詳細は以下。
上の石碑が並んだ近くの道の脇の斜面に、ポッカリと穴が開いていました。15年前に来た時は気が付かなかったなぁ。その頃はもっとちゃんと塞がれていたのかもしれませんね。
奥を覗いてみる。間違いなく人の手で作られたものだ。防空壕? 古墳の石室? ただの近所の人の物置? いつ出来なのかも、そもそもここの解説が無いので何の穴なのかはわかりません。
このあと登る富士居山です。
もう少し左右のバランスがよければ、相州富士とか呼ばれてたのかな?
上の写真の左に視線を動かすと、丹沢前衛の山並みが、尾根の一本一本まできれいに見えます。
あれ? 以前来た時はこの辺りはヤブだったのに・・・。
この案内板の後ろもヤブで、覗き込むことが出来たのに、いつのまにかこんな鉄板が・・・。
胴塚から少し進むと、分岐があります。道なりに、緩く右に進むと、三増合戦場跡があります。武田軍と北条軍が戦った跡ですね。今はその面影は全くなく、のどかな野っ原になっています。本当にこんなところで戦があったんですかね。
また、この写真の左側黒いところの上には・・・
・・・首塚があります。首塚と言うと、やはり大手町にある将門の首塚が有名ですね。
ちょっと引いたところから眺めてみます。ここに首塚があると知らなくても、ちょっと異質な空間だと思います。
階段を登ると・・・
・・・祠があり、そこに・・・
・・・不動明王が祀られています。
解説板によると、三増の合戦から約150年後に建立したとあります。かなり時間が経っていますね。
もともと、ここにはなんらかの供養塔があり、なんらかの理由により150年後にここの祠をリニューアルする際に、ついでに不動明王を安置したのか?
それとも、ここの村に何らかの不孝が続き、「こんなに不孝なことが続くのは、この首塚の呪いじゃね?」 と言う話になり、その呪いを鎮めるために建立したのか?
まぁ、本当のことは分かりませんが、空想が膨らみますね。
三増合戦場との分岐を左に進んで、塀の切れ目を左に曲がってしまった。本来の登山口はもう少し先だったのに・・・。
左折すると茶畑が広がっている。以前来た時は普通の畑だったと記憶しているのだが・・・。
!!!
茶畑の間をしばらく道なりに進むと、正面に森の中に続く踏み跡がある。とりあえず、ここから取り付く。
あれ? 確かここの登山口は階段だったような記憶が・・・、ここで、やっと自分が進んでいるルートがおかしいことに気がついた。しかし、地形図を見ても、この先はそれほど急でもないので、このまま進むことにした。
冒頭で『果たして僕は15年分の成長を感じることが出来るのでしょうか?』なんて言っていたのに、実際はこんなもんです。全然セイチョーしてねーな。
青いラインが本来の登山道ですが、実際には少し手前で左折してしまい、赤いラインを進んでしまいました。
右下の青字に白い点が3つのところが、首塚です。
森の中に入ると、すぐに植林地に入ります。珍しくキレイに1列に並んでいますね。今まで、数えきれないくらい植林地を歩いているけど、こういうのは珍しい。
上のマップを見てもらえば分かるけど、僕は変なところから山に取り付いてしまったようだ。
正規の登山道に出た。もう、ここまで来れば富士居山はすぐだ。
ん? 枯木注意?
あぁ、これのことか。まぁ、注意してくぐれば問題無いな。
ヨイショ、と倒木をくぐろうと腰を曲げた時、倒木の向こうに・・・あっ! あれは?
あああー、やっぱり、写真には写らないなー。実は、倒木を越えたところにある木の根元にある穴から蜂(スズメバチ)が、大量に出入りしているのが見えました。
とっさにコンデジで撮影したので画質は悪いですが、何が起きているのかは分かると思うので、動画をアップします。
とてもではないけど、あの脇を走り抜ける勇気は僕にはありません。どうする? ここで撤退するか?
一度、安全なところまで下がって、地形図を確認します。登山道は稜線上を通っているので、右にせよ、左にせよ、迂回するなら一度谷を下らなくてはなりません。そして蜂ポイントを越えて、再び稜線上に戻れば何とかなりそうです。では、左右どちらがいいのか。地形図を見ると、右の方(北側)が傾斜が緩やかそうだ。よしっ、右側から大きく迂回すれば、何とか、あの蜂ポイントの向こう側に出られそうだ。
そうと決まれば、早速行動です。ここからはストックを使います。
まず、稜線の北側を進んでみます。少し進むと、う〜ん、倒木やヤブでこれ以上進むのは無理だ〜。というわけで、も一度稜線に戻って、今度は左側(南側)を下ります。
こちら側は斜面こそ急ですが、緑林地で手入れもよく行き届いているので、歩きやすいです。
よし、登山道に戻った。蜂ポイントを大きく越えたと思っていたけど、実際には5〜6メートル程度越えただけだった。なので、慌てて蜂ポイントから離れた。
登山道は90度右に曲がります。ここから山頂までは・・・
・・・まっすぐ直登です。
よし、登りきった!
富士居山山頂です。山頂標はここより西にある丹沢前衛の高取山や仏果山と同じデザインのものです。
次に向かう、向山まではあと2kmで、その後の大峰までは2.9km。
山頂には三角点がありました。
祠もあります。山の神?
富士居山山頂を後にして、今日の3つの山の最高峰の向山(むこうやま)に向かいます。ここからしばらくは、広い尾根上のルートでとても歩きやすいです。
近日公開予定の後編に続きます。