このブログの記事内に「以前にはあった謎の碑が無くなった」等の記述がありますが、その後の調査(2022年11月19日)で無くなったと思っていた謎の碑はまだ存在していました。完全に自分の早とちりでした。申し訳ございませんでした。以下に最新情報の記事のリンクを張っておきました。謎の碑に興味のある方はこちらを御覧ください。
今回は久しぶりに南高尾にある”謎の碑”を確認してきました。前回が2017年06月10日だったので、およそ3年ぶりになります。
そもそも、”謎の碑”とはなんぞや? と言うことですが、私がその”碑”の存在を確認したのは2006年12月02日になります。14年も前ですね。始まりは僕の父親が一時期、南高尾(文字通りの高尾山〜小仏城山の南にある甲州街道(国道20号線)を挟んで向かいにある山域)をお散歩コースにしていて、そこで知り合った人からこの存在を聞いたのが最初です。その後、僕に教えてくれました。
なぜ? ”謎”の碑なのか? 2020年現在は分かりませんが、2006年当時はその”謎の碑”について調べても、その正体は分かりませんでした。その後、数年毎に調査しにいき、その度調べてみても分からなかったので、あえて、謎は謎のままにして、静かにその”謎の碑”の変化を楽しもうと思っていました。が! 今回の調査で意外な結末を迎えることになるとは・・・。
山行データ
山行記録
スタート
【8:36】
城山湖の無料駐車場に車を停めてスタートします。かなりゆっくり目のスタートですが、ここの駐車場は早朝は開いていないのでのんびりスタートです。
そもそも、ここの駐車場は何時に開くのかはよく分かりません。今日も開いたばかりのようですし・・・。
【8:36】
駐車場を出ると、すぐ右に大きなゲートがあります。そこに入っていきます。
【8:39】
城山湖の発電所? でも、普通ダムの発電所って、ダムから離れたところにあることが多いですよね。じゃあ、変電所? とにかくよく分からない施設の脇を抜けると・・・
【8:40】
・・・左に分岐があります。ここから南高尾の山域に入っていきます。
分岐後もしばらくは舗装道が続きますが、森の中を歩くので、季節がよければ気持ちの良い散策路です。
【8:42】
分岐後、しばらくすると城山湖の湖面が見えます。
【8:44】
休憩所もあります。ここはバードウォッチングのサンクチュアリにもなっています。
【8:44】
しばらく歩くと丁字路に出ます。ここを右に行くと、高尾山に行けたり、城山湖を一周することも出来ます。大体、1時間半〜2時間くらいで一周出来ます。しかし、コースはなかなかハードだったりします。
一時期、僕自身も短い時間で一周出来るのでトレーニングコースにしていました。
左に行くと本格的に南高尾の山域に入ります。
三沢峠
【9:00】
丁字路から5分ほどで三沢峠に出ます。ここからも高尾山には行けます。先程の丁字路を右に行くよりもこっちから高尾山に行った方が楽に行けます。
【9:10】
昔はこんなものは無かったけど、最近は物騒ですね。
【8:17】
写真で見ると気持ちの良さそうなトレイルですが、いや、実際には季節によっては気持ちの良いトレイルなのですが、この日はクッソ暑かったです。
【9:39】
見晴台からは津久井湖も見えます。この日は湿度が高くてクリアには見えませんね。冬とかだと空気が澄んでいてキレイなんですが。
ここの山域は基本的にいくつもの山頂を結んだ稜線上にトレイルがありますが、アップダウンが結構きついので、山頂を巻くルートがいくつもあります。そのせいでほとんどの山頂を避けて行くことが出来ます。山ノボラーとしては失格かもしれませんが、今日は目的がピークハントではないので、1ミリも躊躇せずに巻道を使います。暑いですし・・・。
言い訳ですが、以前に同じルートを全てのピーク(山名の無いピークも含めて)を踏んで踏破したことがあります。藪こぎやらハードなアップダウンにヘロヘロになりました。
大洞山(536m)
【10:16】
今回のコースで唯一ピークを巻けないのがこの大洞山です。手前にちょっとハードな岩場の登りがありますが、距離が短いのでそれほど大変ではないです。
【10:20】
大洞山の山頂にもテーブルやらベンチはありますが、大体いつも塞がっているので、山頂を越えて少し行ったところにあるベンチでいつも休憩を取ります。
今日も、ザックを下ろしての休憩はここが初めてです。
ここは分岐にもなっていて、今回は大垂水峠の方に下るので、ここを右に曲がる。
【10:35】
分岐からしばらく歩くと、隣接する林道に出られるところがあるので、そこから林道に出る。
”謎の碑”の正体が分からないので、ここからのルートは伏せておきます。今回はルート図も載せません。ご了承ください。
謎の碑
【10:57】
林道から外れて軽く藪こぎをすると(ここは、冬の方が来やすい)その”謎の碑”はあります。
あれ? 以前来たときは3本立っていたけど・・・。
【10:57】
上の写真で奥に見える碑には何か書いてあります。
【10:57】
あっ! もう1本あった。倒れているぞ。
その後、辺りをウロウロしたけど、以前にはあった石製の碑は見つかりませんでした(その様子はYouTubeに動画をアップしています)。もう、ここの場所の役目は終わったということでしょうか。
せめて、それぞれの碑の位置関係と何が書いてあるか(石製の碑は拓本すればある程度は読めそうだった)だけはちゃんとメモしておきたかったなぁ。
ということで、ここの調査は今回で最後になりますね。あとは木製の碑が朽ちていくだけですもんね。
以下に、以前に撮影した写真をアップします。
2006年12月02日
【2006年12月02日 10:24】
最初に確認したのが2006年でした。この時はまだ木の碑が3本立っていました。
【2006年12月02日 0:26】
上の写真の向こう側から見たところです。一番手前のはまだ真新しく文字も普通に読めます。
【2006年12月02日 10:44】
少し奥には高さ1メートル弱くらいの石の碑があります。
【2006年12月02日 10:48】
さらに奥には高さ30センチくらいの、これも石の碑があります。
2011年12月30日
【2011年12月30日 10:47】
前から約5年経過した”謎の碑”です。
【2011年12月30日 10:49】
こちらは石の碑です。あまりかわりませんね。
【2011年12月30日 10:50】
高さの低い石の碑の1本が倒れています。
【2011年12月30日 10:52】
このとき初めて、さらに奥に新たに3本の石の碑を確認しました。
つまり木の碑が3本、石の碑が9本ということになります。じつは更に奥に木の碑のような物が2本(1本は倒れている)ありますが、字は読めないしこれが碑かどうかわかりません。
今思えば、この時にきちんと調査をしておけば良かったですね。
2017年06月10日
【2017年06月10日 10:05】
こちらは4年ほど前の状況です。奥と真ん中の碑はギリギリ文字が読める程度です。
【2017年06月10日 10:07】
こちらは一番奥にあった石の碑です。下にアップの写真を載せますが、写真では難しいですが、現地では十分に読めそうですね。
いずれ、ちゃんと調査しようと思っていたので、詳細をメモらなかった自分の愚かさにがっかりです。
【2017年06月10日 10:07】
一番手前の石碑。
【2017年06月10日 10:07】
真ん中の石碑。
【2017年06月10日 10:07】
一番奥の石碑。
【2017年06月10日 10:07】
こちらは低い石の碑です。奥に倒れた1本が見えますね。
現在わかっていること
で、結局これは何だったかと言うと、自分が調べられた範囲ですと、過去ブログを引用します。
ちなみに一番奥の碑には「第一親王 御胞衣(おえな)」裏に「平成十八年九月六日 御誕生」真ん中の碑には「第二内親王 御胞衣」裏に「平成六年十二月二十九日 御誕生」とあります。一番手前の碑は判読不能です。ピンとくる人もいるかと思いますが、平成十八年九月六日生まれの第一親王とは、秋篠宮家の悠仁親王の事で真ん中の平成十八年九月六日生まれの第二内親王とは佳子内親王のことだと思われます。そうなると一番手前の碑には「第一内親王 御胞衣」「平成三年十月二十三日 御誕生」と書かれていて、眞子内親王のことなのか? と推測出来ます。ちなみに「えな」とは胎盤のことです。字面の通り解釈すると、ここに秋篠宮家のご子息たちが生まれた時の胎盤が埋められている? となりますが、いやいや、そんなはずはないでしょ。でも、なんでこんな所に? と謎は深まるばかりです。
木製の碑についての過去ブログからの引用
上の3本は木製でしたが、こちらは石(御影石?)製です。一番手前の碑には「第一王子御胞衣」とあります。更に奥にはちいさい石の碑が3本…
石製の碑についての過去ブログからの引用
さらに奥に進むと今度は高さ30センチと背は低くなりますが、こちらは(恐らく)御影石で出来ています。かろうじて読み取れるのは「大正十五年十二月」とまで、その下は埋もれているのか見えません。天皇家で大正十五年十二月と言えば・・・(ググッています)・・・昭和天皇が二十五日に即位していますね・・・。その下、または裏側に何て書いてるか気になりますね。
今、写真を見直してみるともう少し読めそうだったものがありますね。きちんとメモらなかったことは本当に残念でした。
正直言って、今写真を見直してみて記憶がかなり曖昧になっていることに気が付きました。もしかしたら、同じ碑を違うと紹介しているかもしれませんし、違う碑を同じと紹介しているかもしれません。また、トンチンカンなことを言っているかもしれません。その場合はご容赦ください。
いつかちゃんと調査したいと思いつつ、最初に知ってから14年も経ってしまい、結局調査出来ずじまいだったのは残念ですね。まぁ、仕方ない・・・。
しかし、高尾山の南にこのような碑があることは事実です。いや、あったことは事実です。
結局、何だったんでしょうね・・・。
帰路
【11:23】
”謎の碑”のある尾根から林道に戻って、さらにその林道を戻ると、右上に向かう分岐がある。ここから南高尾の稜線に戻ることが出来る。ただし、ルートは歩く人が少ないせいなのか、かなり荒れている。
【11:30】
南高尾の稜線に戻った。
大洞山(536m)
【11:43】
再びの大洞山。今回は誰もいない。お昼近いのに珍しい。
三沢峠
【13:20】
ダーっと端折って、三沢峠に戻ってきた。
【13:26】
分岐、まっすぐ行くと草戸山(町田市の最高所)を経て高尾山に行けます。
今回は右に曲がって帰ります。
【13:43】
車道に出たらゴールは近し。
【13:47】
左側には朝通った発電所? 変電所? があります。
ここで外国人二人組とすれ違いましたが、これから高尾山にでも向かうんでしょうかね? 今から行くと、ちょうど高尾山のビアガーデンで夜景を観るにはちょうど良さそうだけど・・・。そもそも、今、ビアガーデンはやっているのか?
ゴール
【13:47】
ここの扉をくぐると・・・
【13:48】
・・・ゴールです。