今回は僕自身の経験では無く、父が経験したことです。自分の経験ではないので、ここに書くべきか悩みましたが、チョットした勘違いが、遭難を引き起こしてしまう可能性があり、しかも、それは、誰でも被害者になり、加害者(と言っても、決して悪意がある加害者ではなく、善意の加害者なんですが)になるかも・・・というようなことなので、書くことにしました。
とは言うものの、実は最近まですっかり忘れていたんですよね。先日、津久井城山を登っていて思い出しました。
父が山歩き始めました
それは、もう随分と前の話です。僕の父はあまりアウトドアには興味のないような人です。しかし、何を思ったか、定年後に突然里山歩きを始めました。僕が山登りをしていたので、その影響もあったのかもしれません。とは言うものの、普通の山登りのような高所を目指したり、登ったことの無い山を積極的に登るような山登りではありません。近所の里山を繰り返し歩いていました。場所で言うと、高尾、南高尾の辺りです。特に南高尾は週に何度も通い、僕より詳しいくらいです。
チョット脱線しますが、このブログでも何度か紹介していますが、南高尾に謎の碑があります。詳細は以下。
その謎の碑の場所を教えてくれたのは父です。その父も、この山域を毎日のように歩いていたせいで、数人の顔見知りが出来、その中の1人から教えてもらったと言うことです。今となっては、その人がどんな人で、その碑についてどこまで知っているのかは分かりません。ネットをググってもその碑について書かれているのは自分のブログぐらいで、詳細はまったく分かりません。だから、謎の碑なんですが・・・。
晩秋の日に
ここからが本題です。父が山歩きを始めてまだ数ヶ月しか経っていない、ある年の年末の頃のお話です。
父はその日、電車で高尾山口行き、そこから高尾山に登り、そのまま県境尾根を小仏城山に向かって歩いていました。時間はもう午後で、山の中ではすでに夕方の雰囲気が辺りを包み込んでいます。さすがに山の素人の父でも、そろそろ下山しなくてはと思ったそうです。
父の装備
この時、父はまだ山を始めたばかりで、山地図もヘッドランプも持っていませでした。僕は母から最近高尾山辺りを歩いている。ということは聞いていたのですが、まぁ、高尾山をピストンするくらいなら、それほど本格的な山装備もいらんだろうと軽く考えていました。(この事件の後に、僕のお古もありますが、山登り装備一式を渡しました。)
今回の舞台を簡単に説明します
このお話は高尾山付近の土地勘が無くてはよく分からないと思うので、下記にこのお話の舞台になった山域の地図【出典:国土地理院ウェブサイト(https://maps.gsi.go.jp/#14/35.606824/139.245701/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1)】を貼っておきます。土地勘の無い方はそれを見ながら読んでいただくと、多少は理解しやすくなると思います。まずは今回の舞台を簡単に説明します。この辺りに詳しい方は、この章を飛ばしてもOKです。
まずは高尾山、山登りをしている人ならその名前を一度は聞いたことがあると思います。世界一登山者が多い山と言われています。東京や神奈川に住んでいれば、小学校や中学校、または自治会などのイベントで一度は登っている人は多いと思います。
また、植物に詳しい人なら、高尾山は他の山と違うチョット変わった植生をしている事を知っているでしょう。なので、植物や森に興味のある人にとっても、高尾山は有名だったりします。
その高尾山から西に東京と神奈川の県境尾根が伸びています。高尾山からその尾根の稜線を1時間ほど歩くと、今回の主役の山のひとつの小仏城山があります。
そして、もう一つの主役は津久井城山で、高尾山の南にあります。高尾山から津久井城山は甲州街道(国道20号)を跨いだりと、山伝いでは行けなくて別の山域になっています。
山登りをしていない、神奈川県民、特に相模原市民に「城山」と言うと、無条件で津久井城山を思い浮かべます。逆に神奈川県民以外で、山登りをしている人に高尾山の近くの「城山」と言えば、ほぼ全ての人は小仏城山を思い浮かべるでしょう。と言うのも、高尾山自体は初心者でも比較的簡単に登れますが、コースによっては、山登りの楽しさも充分に味わえる山です。しかし、中級者にとっても、ここは魅力がある山なんです。それは高尾山から小仏城山、景信山、陣馬山と繋ぐ尾根(東京と神奈川の県境尾根)があり、なかなかに面白いルートなんです。そういうこともあり、小仏城山を知っている登山者は多いです。また、最近では小仏城山と言えば「巨大かき氷」と言われるくらい、このバカでかいかき氷が有名になっていて、高尾山の奥にある「巨大かき氷」が食べられる山としてもよく知られるようになっています。
ということで今回は、高尾山、小仏城山、津久井城山の辺りのお話という前提で話を進めます。
また、通常は「小仏城山」も「津久井城山」もただ単に「城山」と呼ばれることも多いですが、ここではややこしくなるので分けて書いています。
下山開始
下山しようと思った父は、来た時と同じように、そのまま来た道を戻り、高尾山の山頂を経由して高尾山口まで下山して、電車で帰ればよかったのですが、何を思ったのか、津久井城山方面に行き、麓のバス停から帰ろうと思ったらしいです。
ここの場所を知っている人なら、高尾山から県境尾根の稜線上から津久井城山まで行くのは、距離もあるし、そもそも方向が全然違うので、無謀だと思うでしょう。僕もそう思います。
前述したように、父は地図を持っていません。ただし、津久井城山の麓にある津久井ダムから峯の薬師、三沢峠を経て高尾山には登った事はあります。なので、そのルートを逆に辿ろうとしていたのだと思います。だったらなおのこと、高尾山経由で来た道を引き返して下山すればよかったんだと思いますよね。おそらく父の頭の中でもそういうイメージがあったんだと思います。
ここからが今回のお話のポイントになります。
勘違い
父は少しでも早く高尾山の麓にある甲州街道(国道20号)に下ることを考えていたんだと思います。たしかに県境尾根から甲州街道に下るエスケープルートはあります。しかし、地図を持たない父はどこから下るのかは分かりません。なので、ここで、小仏城山方面から歩いて来た女性とすれ違うとき(上の周辺地図で赤いXの辺りで)、
「城山はどちらの方向ですか?」
と聞いたらしいです。ここで、もし、
「甲州街道(国道20号)に下るのはどちらに行けばよいですか?」
と聞いていれば、まだ良かったのかもしれません。どのみち、津久井城山に行くには必ず甲州街道を渡らなくてはならないので、まず、そこまで下ることを考えればよかったはずです。質問しようとした女性が地元の人ではなく、土地勘が全く無ければ、素直に「分からない」と答えるでしょう。もしかしたら、地図を開いて確認してくれたかもしれません。しかし、小仏城山から来た人に「城山の方向」を聞けば、大概は自分が今歩いてきた方向を教えますよね。たとえ、津久井城山の存在を知っていたとしても、このタイミング、この場所で聞かれたら100人中99人は小仏城山の事を言っているだと思うでしょう。そもそも、ここから、この時間に津久井城山に向かう人なんてかなりの物好き以外にはいないですよね。
ここで、道標は見なかったのか? と疑問が起きますが、僕自身しばらくここの尾根を歩いていないので、ハッキリした事は言えませんが、以前の道標にはただ「城山」とだけ書かれていたのかもしれません。今でこそ、小仏城山はそのまま小仏城山と言われることが多いですが、昔はただ城山とだけ言っていたような記憶があります。なので、父は(小仏)城山方面に進んでしまったのだと思います。
記憶があやふやなので過去の写真を確認しました。以下が2011年12月の時の写真です。やはり同じルート上に、ただ「城山」と書いている所と、「小仏城山」と書いている所があります。現在はどうなっているのかは分かりませんが、父は前項の「城山」を見て「津久井城山」方面に向かっていると勘違いしたのだと思います。
そこで父は、何の疑問も持たず(そもそも父は小仏城山の存在を知らない)、女性に言われたまま進んでしまい。小仏城山に着く頃にはすっかり日が落ちてしまったということです。当然そのくらいの時間になると、辺りにはに人はいません。土日ならいざ知らずこの日は平日です。津久井城山を目指していた父は小仏城山に着いてビックリしたでしょう。自分の知っている城山の山頂とは全然違うし、そもそも津久井城山方面には向かおうとは思っていたけど、津久井城山の麓まで行きたかっただけで、決して山頂にまでは登る気はなかったんですから。
父は地図もそうですが、ヘッドライトも持っていません。しかし、この日は月が出ていたので完全に暗闇というわけではなかったようです。ここで、父がパニックにならなかったのは不幸中の幸いでした。冷静に辺りを見ると、小仏城山から甲州街道に下れるルートがあります。父はそのルートを見つけて、月明かりだけを頼りに下ったそうです。
下りきったところは大垂水峠になります。イニシャルDを読んでいる人はその名前は聞いた事はあるでしょう。あのウネウネした峠です。ここは国道なのでバスが通っています。父はそれを知っていたので、大垂水峠のバス停から相模湖駅まで行き、そこでバスを乗り換えて三ケ木(バスターミナル)、そこでさらに乗り換えて、JR橋本駅まで出て、そこからJR線で帰宅しました。大垂水峠まで出たのならもっと別のルートで帰れるとは思うのですが、確実に知っているルートで帰ったんだそうです。ちなみに帰宅したのは午後10時過ぎだったそうです。
そんなに遅くになって、家で待っている母親は心配しなかったのか? 場合によっては、なんで警察に捜索願いを出さなかったのか? と思う人もいるでしょう。答えは簡単で携帯が通じていたので逐一連絡は取れていたそうです。なので、結果的には大事には至りませんでした。が、ひとつ間違えれば大変なことになっていたのは想像に難しくないですよね。
今でこそ、家族の間では笑い話になっていますが、よくよく考えてみると、笑い話ですまない話ですよねー。ということで、ここで今回のことを整理してみようと思います。
同じことが起こる可能性
おそらく日本中でこのような、近くに同じ名前の山がある場所は少なくないと思います。丹沢でも高取山なんて何山あるのか分からないくらいあり、すぐ近く、同じ稜線上にある場所もあります。逆に本当にすぐ近くならこのような事は起こらないのかもしれませんが、今回のようにそれなりに離れていて、かつ、片方はメジャーで片方はマイナーな場合、今回のような事が起きる可能性はあると思います。
通常、近くにある場合は今回の場所でもそうだったように、津久井、小仏のように頭に識別子を付けて呼ばれることが多いですよね。駒ヶ岳なんて日本中のあちこちにあり、それぞれ識別子が付いていますよね。
今回は、近くに同じ名前の山があることによる勘違いでした。まるでアンジャッシュさんのネタみたいですね。
今回のことを簡単に言うと、父が(津久井)城山の方向を聞いたら、全く違う方向の(小仏)城山の方向を教えたということです。結果的には明後日の方向を教えた女性ではありますが、彼女に非はありません。単純に父の聞き方が悪かったのですが、父は父で小仏城山の存在を知らないので、まさか自分が向かっていると思っていた城山が自分の知っている城山じゃないなんて夢にも考えていなかったでしょう。
とは言うものの、それ以前に父が自分が歩くルートを入山前にちゃんと確認していなかったのがそもそもの問題ですよね。
父にはその後、地図を渡しながら、最低でも入山前には地図を広げてその日歩くルートの確認はしとけよ。とは言っておきました。その後、そうしたかは分かりませんが、同じような事は起きなかったです。
この事から僕が学んだこと
この話を聞いた後、僕は考えて、その後の山行の参考にしています。
まず、
「〇〇山はどちらでしょう?」
と言うふうに聞かれたら、識別子のある山なら
「⬜︎⬜︎〇〇山は〜」(⬜︎⬜︎は識別子)のようになるべく具体的な山名を復唱して答えるようにしています。また、識別子が無いような山は、
「山頂に展望台のある〇〇山は〜」
や
「山頂に〇〇神社がある〇〇山は〜」
や
「△△小屋の向こうの〇〇山は〜」
のようになるべく曖昧さを排除して答えるようにしています。
ここまでは自分が詳しい山域で聞かれた時ですが、僕は当たり前ですが、日本中の山域に精通しいるわけではありません。むしろ1%も知らないでしょう。そのようなところで聞かれた時は、必ずと言うわけではないですが、地図を広げてお互いに確認しあいながら、答えるようにしています。
悪気は無いものの、自分の回答が遭難の引き金になるのは避けたいですよね。
また、逆に自分が誰かに質問する場合も、なるべく具体的な山名、地名で聞くようにしています。
最後に
今回は直接自分が経験したことでは無いですが、大事なことだと思った(すっかり忘れていたクセに・・・)ので、番外編としてシェアさせていただきました。頭の端にでも、こんなこともあるんだなぁ〜。くらいに記憶していただけると、もしかしたらひとつの遭難を減らせる助けにはなるかもしれません。もし、そうなったら父も浮かばれるでしょう・・・。
おいっ俺はまだ生きてるぞ!(父談)
その他の【山の失敗談】シリーズ
-
【失敗談】番外編《勘違いの章》
今回は僕自身の経験では無く、父が経験したことです。自分の経験ではないので、ここに書くべきか悩みましたが、チョットした勘違いが、遭難を引き起こしてしまう可能性があり、しかも、それは、誰でも被害者になり、加害者(と言っても、決して悪意がある加害者ではなく、善意の加害者なんですが)になるかも・・・というようなことなので、書くことにしました。 -
【失敗談】迷走編《世附権現山〜ミツバ岳の章》
自分もここの山域でルートミスした事があるのを思い出しました。具体的に亡くなられた方がどのようなコースを辿っていて、何処で迷われたのかは分かりません。しかし、この時のはいつもより象徴的だったですし、あぁ〜、人ってこうやって誤ったルートに入って行くんだなぁ。と思える内容でしたので、詳しく書いてみたいと思います。 -
【失敗談】撤退編《初めての富士山の章》
僕が初めて富士山に登った(登ろうとした)のは、2006年06月のことでした。それは山登りを始めてまだ半年程度しか経っていない頃のことです。今回はその時のお話です。 -
【失敗談】ビバーク編《灼熱地獄の章》
今回の失敗談は『高島トレイル』を歩いていて、暑さのため計画通りに歩けず、ビバークを余儀なくされ、途中でリタイアしたというお話です。ビバークと言うと、雪山で雪洞を掘って、震えながら一夜を明かす。なんてイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?しかし、今回の舞台は真夏の低山です。ある意味、真逆な環境ですよね。 -
【失敗談】テント編《風の悪戯の章》
まぁ、今回もいつものように、致命的な失敗というわけではありません。側から見てると微笑ましい失敗です。YouTubeにおもしろ動画としてアップすれば、そこそこの再生回数が稼げそうです。 -
【失敗談】テント編《骨折の章》
大抵のテントにはその型を維持するための骨(ポール)があります。スリーブにポールを通すもの、ポールにテントをぶら下げるもの、中には、トレッキングポールや木の枝をつっかえ棒のように使うものもあります。例外的に細引きだけでテントを維持させる場合もありますが、まぁ、これは特殊な場合ですね。 -
【失敗談】テント編《逆襲の章》
今回お話するのは失敗と言うより、考えがいたらなかったっていうお話です。僕にもう少し想像力があれば、もしかしたら避けられたかもしれないってことですね。 -
【失敗談】暗黒編
大抵の登山地図にはコースタイムが書かれています。そこそこ山登りの経験のある人なら、自分の運動能力と照らし合わせて、そのコースタイムに対してx0.8とか1.2とか掛けて自分のタイムを割り出して、山行計画を立てたりします。 -
【失敗談】炎上篇
今回は炎上編です。火にまつわる失敗談です。火にまつわると言っても、テント内でバーナーを使って、テントが丸焦げになったとか、カミナリに撃たれて丸焦げになったとか、山頂火口のマグマに落ちて丸焦げになったとか、そんな話ではありません。