【不思議】山の不思議体験 第二話「パワースポット誕生の瞬間に遭遇した?(Y金山遺跡編)」

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日本の山岳地帯はパワースポットの宝庫ですよね。もちろん、海岸部、都市部にもパワースポットは多くあります。しかし、日本の国土の7割近くが山岳地帯なので、そこにパワースポットが多くなるのは必然ですね。

では、そもそもパワースポットとは何でしょう。まぁ、ここではパワースポットの定義について論じるつもりは無いですが、フワッと考えると『人の力が及ばない、不思議なパワーを感じられる場所』と言うことが出来ると思います。

では、では、そのパワースポットの始まりは? ここでの始まりとは最初のパワースポットということではなく、無数にあるパワースポットのそれぞれの始まりという意味でです。

こう書くと、パワースポットの始まりは不確かな場合が多そうだけど、実際には、多くのパワースポットは『いわれ』がある場合が多いですよね。

有名なところでは、弘法大師(空海)が〇〇したところ、なんて話は聞いたことがあると思います。または、源義経や役小角(えんのおづね)の話もよく聞きますし、地域によってはそこの地域の有名な武将絡みの話も聞きます。

しかし、山を歩いていると、なんで、こんな所に? というところに、ひしゃげた鳥居とその奥には、朽ち果てた祠が静かに山に帰ろうとしているのを見かけることがあります。このような場所も日本人ならパワースポットと考える人が多いと思います。では、ここの始まりは? 山の中では、大岩や奇石のようなシンボリックな物がある場合はそれらが御神体になり、神社が出来たことが考えられます。でも、中にはそのどれにも当てはまらない場所にも神社や謎の祠があったりします。

つまり、なんで、こんな所に? という問いのひとつの答えが今回のお話になります。

目次

始めに

僕のブログを読んでいる方なら、過去に山中の遺跡の測量&調査をしていたことは知っていると思うので、本編まで飛んでもらっても大丈夫です。

初めての方は、ようこそ、アウトドアの扉へ・・・。なんてカッコつけている場合ではないですね。

前述の通りなんですが、僕は10年前に、半年ほどですが、山梨県の某所にある金山遺跡の測量&調査のお手伝いをさせていただいたことがあります。その時、山人やまびとならお馴染みの地形図ですが、それを実際に、山の中を、自分の足で歩き回って、測量して、制作しました。それは僕にとっては非常に貴重な経験であり、その後の山登りにどれだけ役にたったか分かりません。まぁ、それは置いておいて、今回はその調査中に体験・・・と言うか、目撃したことを話していきたいと思います。

今回の舞台背景(Y金山遺跡)

舞台となるのは山梨県のY金山遺跡です。そのY金山遺跡は、仮の名前でK遺跡、U遺跡、N遺跡と呼ぶ、3つの遺跡の総称になります。分かる人にはこの説明でピンとくるかもしれませんが、基本的には某所ということにします。25,000分の1程度の地形図を持っていたとしても、全く役に立ちません。なので、この記事を読んで現場に行こうと思っても無理です。非常に危険です。なので、詳しい場所は明かせません。ご了承ください。

N遺跡

前述した3つの金山のひとつのN遺跡に関しては国の史跡にも認定されているので、そこを訪れることは、かなりの山登りを必要としますが、可能です。今回はここは関係無いので詳しい説明は端折ります。

U遺跡

U遺跡は3つの遺跡の中でも最も山深い場所にあり、その場所を知らなければ決して行くことは出来ません。いや、僕自身その場所は半年間、ほぼ毎日通った場所ですが、2度と行こうとは思いません。そう言う場所ですから、20年ほど前に一度学術調査が入ったっきり、詳しい調査が行われていません。なので、今回の目的は、その遺跡の全体像の把握と、詳しい地形図(500分の1)の製作、そして噂だけで未だ発見されていない金の採掘場所の確認が大きな目的です。

K遺跡

そして、今回の舞台になるK遺跡ですが、ここはU遺跡へ行く通り道にあります。そのため比較的行きやすいですが、それでも整備された登山道なんてものは無く、谷の底、沢の側を通るので大雨の後などはしょっちゅうルートが変わります。僕も何年も行っていないので、現在、どのようになっているのか想像もつきません。行こうとも思いません。

そんな所が舞台になっています。

1日の作業の流れ

まず、山岳地帯の金山遺跡の測量、調査をするための1日の作業の流れを簡単に説明します。

某林道の脇に車を停めて、その林道と某川のクロスする場所から山に入ります。今回の舞台になる場所はそこから1時間弱歩いた所にあるのですが、ずっと沢のそばを歩くので、大雨の後で川が増水した時などは歩くのに苦労します。

しばらくは沢沿いに登って行くと、K遺跡があります。今回の舞台はここですが、実際の作業域はこれより遥か上流にあります。ここまでは遺跡見学会などで、適切なガイドがいれば小学生でも来れるようですが、知らない人が独りで来るのは危険です。

調査現場までは通常、1時間から1時間半ですが、途中で1回休憩を取ります。ここの休憩が今回の話の始まりになります。覚えておいて下さい。

現場に着くと、6人が、3人づつの2グループに分かれて、それぞれ指定された場所を測量します。遺跡の真ん中辺りから始めて、山を登りながら測量していくグループと、下りながら測量していくグループに別れたので、作業が進めば進むほど、他のグループと離れていくことになります。そこで登場するのが以前紹介した笛の登場です。詳細は以下。

もし、なんらかの事情で6人集まらず、5人だった時は、3人は測量(基本的に測量は3人一組で行われます)に、あとの2人は遺跡の調査をします。責任者からこの辺りを確認してしてくれと指示が入る場合は、地形図片手にそこに行きます。しかし、深い深い山の中、そんな簡単に目的地にたどり着けるはずはありません。そもそも、前述した通り、25,000分の1の地形図なんてあまり役に立ちません。なので、自分たちで手書きの地図を作りながら進みます。今日はここの谷を限界まで詰めてみたけど、ここからは目的の場所へは行けないよ、とか、この尾根を詰めると山頂稜線には出られそうだけど、目的地へは、途中で急な崖をトラバースしなくてはいけなそうだ、なんて情報を皆で共有しながら、目的地を目指します。

基本的にこの作業の繰り返しです。でも、あくまで測量がメインのお仕事です。

お昼休憩を1時間取ります。遠くまで調査に行っていても、お昼には戻ってきて皆で昼食を摂ります。食べるものは人それぞれですが、僕は普段の日帰り山登りと同じで、カップ麺とおにぎりでした。

昼食の後は再び作業に入ります。作業は午後の4時位が限界です。そこから山を下り、東京に車で戻り、さらに自宅のある神奈川まで電車、バスで帰ります。

今回の調査は夏から冬にかけて行いました。夏場は4時に下山を開始しても、十分に明るいうちに林道に置いてある車までたどり着けますが、季節が進むうちに、車に戻る頃にはすっかり陽が落ちて、真っ暗になっていました。

まぁ、かなり省略していますが、1日の作業の流れはこんな感じです。

いなかた

調査域ですが、最初は測量道具なども担いでいたために、たどり着くのに途中で機材をデポしつつ3日かかりました。しかし、最後の方では、慣れと言うのは怖いもので1時間強で行けるようになりました。通常の山登りのコースタイムで考えると3時間から4時間くらいだと思います。今行くとしたら5時間くらいは掛かりそうですが・・・、

さて、次からやっと本編に入ります。前述した休憩場所から始まります。

それは突然起こった(ここから本編)

もう、9月も後半に入っているのに、下界ではまだまだ夏の余韻が残っていて、蒸し暑い日が続いた某日のことです。

調査が始まって約ひと月が経ち、身体もかなり慣れてきたとはいえ、ここまで来る間に服は汗でじっとり濡れています。しかし、ここの休憩場所は標高が約1,000mあり、日射しこそまだ強烈だけど、日影に入れば沢から噴き上げてるくる冷たい風が心地いい。

今日はフルメンバーの6人で現場に向かっている。皆それぞれ好き勝手に寝転んだり、行動食を食べたり、ここまでの体力の回復に努めているのと同時に、これから始まる地獄の急登に備えています。

ここまで来ると、もう下界の喧騒は息をひそめ、うっすらと色づき始めた広葉樹の葉が揺れる音と、沢を流れる水の音、そして野鳥たちの鳴き声しか聞こえません。

その時突然、

ゴロゴロゴロゴロ〜!!!

と大きな音がしました。皆が身体を起こして、辺りをキョロキョロ見ています。

始めは雷が近くに落ちたのか? と思ったけど、今日は雲一つない文字通りのピーカンです。そんなはずはない。皆で顔を合わせながら、音のした方向を見る。

その音は、頭上からではなく、むしろ下の方から聞こえています。

仲間の1人が、あそこから煙が上がっている。と、ある方向を指差して叫んでいます。皆が一斉にその方向を見ると、確かに、ここから直線距離で1kmくらいでしょうか、V字の斜面の一角から煙が上がっているのが見えます。

位置的にはK遺跡付近だ。何があったんだろう? しかし、仕事優先なので、今すぐ確認しに行くことは出来ない。どのみち、下山時には間違いなくその付近を通るので、まずは仕事をするために、さらに上流にある現場に向かった。

やはり、その日の話題は先程の謎の煙のことでいっぱいでした。

いなかた

噴火でもしたのか?

それにしては規模が小さすぎる。

いなかた

何かが爆発した?

あの辺りには爆発するようなものはないよね。

いなかた

だったら、ミサイルでも着弾したのか?

いくらなんでも、現在の日本で、その可能性はゼロではないものの、限りなくゼロに近いだろう。もし、そうなら、今頃はマスコミのヘリコプターで空が埋め尽くされているんじゃないか?

などと、皆色々な想像を膨らませて、その日の測量を終えて、下山を開始する。

そもそも、その正確な場所もわからないので、とりあえず、いつも通り下る。最悪、作業道が崩壊して通れなくなり、大きく迂回しなくてはならないかもしれない。

皆が無口になって黙々と山を下る。山を下ると言っても、登山道を下るのとはわけが違う。

調査が始まった頃は、まぁ、比較的歩きやすいルート(って言っても手足を総動員する必要がある)だったのが、調査が進むうちに、欲が出て、少しでも早く下りたくなるのが人間の性で、ショートカットし始める。そもそも、1番楽なルートでも、登山経験が豊かな人でもドン引きするような所なので、さらにショートカットするってことは、そのルートはもはや、人間が歩く場所では無い。ちなみにこのルート、下ることは出来るけど、登ることは出来ない。

人間って慣れるんですよね。始めの頃は、この先は崖なのでこれ以上は進めないので、調査もここまでだよねー。これ以上は行けないもんねー。なんて言っていたのに、1ヶ月、2ヶ月と調査が進むうちに、これ以上進めないと思っていた崖を平気で登り下りするようになっていた。そのせいで、その先にもまだまだ遺跡が続いていることが分かり(新たなテラスや遺物が見つかった)、当初考えられていたより、実際はかなり広い遺跡だったということが分かったんですが・・・。

そんなわけで、調査が進むうちにとんでもないルートを進むようになってました。余談ですが・・・。

下りも登りと同じところで休憩する。朝見えた煙は今は全く見えない。噴火ではなさそうだ。ここから見る限り、いつもの風景と変わらない。いったい何があったのだろう。

煙の原因は?

どんどん下り、K遺跡に到着。特に変わったところは無い。あれ〜、この辺りじゃ無いのか?

K遺跡は深い谷の底から、尾根に向かって広がっている。かなりの急斜面だけど、テラスと呼ばれる平坦地が、棚田のように作られている。しかし、現在では斜面の上から土砂等が流れ込み、平坦地はかなり埋まっていて、専門家でもない限りはただの山の斜面にしか見えない。

結局、朝のあれは何だったんだろうね〜。なんて言いながら、さらに下って行くと、K遺跡の下流側の末端辺りには来た時、急に木の匂いが強くなった。森の中にいるんだから木の匂いがしても不思議じゃないだろ? と思う人もいるかもしれませんが、通常では木の匂いを意識することはありません。伐採されたり、雷が落ちて木の幹が避けたり、つまり、木の内部が露出した時、しばらくの間は木の匂いが強くなります。そんな匂いが辺りには充満しています。それに混じって、ホコリの匂いも強く漂っています。

なんだ? この匂いは? と思っていると、前方に森が途切れて、その先が明るくなっているのが見えました。この先は、ずっと森が続いているはずだ、何だ、あの開けた所は? あそこから森が無くなっている?

匂いは間違いなくそこからしている。

先頭を歩いていた人が、あれ? 道が無くなっている。
と立ち止まった。皆が開けたところに集まって、辺りを見渡す。やっと、朝の煙の正体、そして、森がポッカリと無くなった原因を理解した。

斜面の一部が大きく崩落したのだ。サイズは後で知った事ですが、幅、約20m、長さ(斜面の上から下まで)、約200mにもわたって、山の斜面が崩れ落ちています。

その辺りは植林地だったけど、木は根からゴッソリと薙ぎ倒されています。木の匂いが強くなったのはそのせいです。

朝、見えた煙は、恐らく、斜面が崩れた時に砂埃が舞ったのが見えたのだと思います。

うわ〜、何だこれ? とボーゼンと辺りを見渡すと、木はことごとく倒され、折れ、曲がり、大きな岩がゴロゴロと露出して、景色は一変しています。

木はなぎ倒され、岩がゴロゴロと散乱している(2010.9.21撮影)

ところで、我々はこの先に進めるのか? 今まで作業道だったところは完全に大きな岩で埋まっています。その岩の上を進むことも出来そうですが、さすがに崩落直後の岩の上を進むのはリスクが高すぎます。かと言って、崩落地を迂回して、一度尾根まで登り、崩落地の上部を回り込んで、向こう側に行くのは時間がかかり過ぎます。

大岩が木に当たり、幹がえぐれている(2010.9.21撮影)
木がパックリ割れています(2010.12.26撮影)

皆が散らばり、通れそうなところを探します。すると、あっけなく新たなルートが見つかりました。

それは、崩壊部の下部にありました。かなり急な斜面で高さ200mにも渡り崩れているのですから、当然、谷の底まで達しているものだと思っていたら、谷の底から数メートル手前で止まっています。

わずか数時間前に崩落した斜面の下部を回り込むのは、少々危険ですが、いつ崩れるか分からない岩の上を歩くよりはマシでしょう。

作業道から外れ、谷の底に向かいます。すぐそこには水量の多い沢が流れています。もし、崩落がこの沢まで達していて、流れを堰き止めていたら、大変なことになっていたと思います。よくぞ、ここで止まってくれた。

ちょうど、崩落部の下部、つまり崩落部の先端に来たとき、我々は不思議な光景を目にしました。そこには古い石碑が立っていました。その石碑のすぐ後ろには、まるで見えない透明の壁がそこにあるかのように、崩落した大岩がいくつも重なり合って積み上がっています。それはまるで、その石碑が崩落を止めているように見えました。

下の画像そのままだと分かりづらいので、落ちてきた岩に色を付けてみました。左側の矢印を右にドラッグしてみてください。ちなみにこの画像は崩落から約三ヶ月後の2010年12年26日のものです。

ここは金山遺跡なので過去に何度も学術調査が入っていて、我々も資料として、この辺りの地図を見ているので、この石碑の存在は知っていました。実際に作業道のすぐ谷側にあるので、何度か見に来ていました。この石碑が何であるのかは分かりませんが、なんか不思議な雰囲気がある場所だという認識はありました。

まさかとは思いますが、この石碑が崩落を止めた? いやいや、偶然でしょ、たまたまここで止まって、たまたまそこに石碑があったってことだけなのかもしれません。それが真実でしょう。しかし、実際にこの光景を見て、何か不思議な力を感じるのは、僕が日本人だからでしょうか?

新たなパワースポットの誕生?

ここからは僕の想像でしかありませんが、昔の人も僕と同じように、こういった現象を見て、そこに不思議な力を感じたのではないでしょうか。

山の中で、何でこんなところに神社があるのだろうと、疑問に思った事がある人もいるでしょう。昔、そこで、今回起きたようなことがあり、それを見た人が、そこに何らかのパワーを感じて、鳥居を建てたり。しめ縄を締めたりして、それがやがて神社やお寺になり、そこに尾ひれ背びれがついて、やがてパワースポットになったのではないでしょうか? まぁ、あくまで僕の想像ですが・・・。火の無い所に煙は立たぬ、ですよね。

その後、それ以上は崩落は進みませんでしたが、今までの作業道は完全に埋もれたので、石碑の前を通るルートに付け替えられ、遺跡の調査は続けられました。そこを通る度に、不思議なこともあるもんだな〜、と思っていました。

あれから

あの崩落からちょうど10年経ちましたが、そこがパワースポットになったという噂は聞きません。そもそも、人が簡単に近づくことが出来ない場所ですし、これからもパワースポット認定されることはないでしょう。

でも、僕にはあの体験は今でも、強烈な記憶として残っています。10年経った今でもあの時の木の匂いは忘れていません。

調査が終わり数年後、そこが目的ではないけど、再びあの石碑の場所に立った事があります。無意識に手を合わせていました。僕の中では、あそこには間違いなく不思議な力が宿っている場所だと思っています。

でも、あそこにどのようなパワー(温泉で言うところの効能)があるのかは分かりませんし、これからも分かることはないでしょう。しかし、大規模な山の斜面の崩落を止めたあの石碑は、まだ、あそこでひっそりと佇んでいるのは間違いのない事実です。

もしかしたら、もっともっと大きな崩落が起こるのを今でも、あそこで止めているのかもしれません・・・。

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